私はトレーナーとしてレクチャーをする時必ず
『演技って何ですか?』
っていう質問を参加者の人達に問いかけています。
別に明快な正しい答えを求めている訳ではないのですが、
それぞれの人の『演技』に対しての捉え方を聞き、私が認識すると共に、
俳優自身に頭の中を整理してもらう為です。
レクチャー始めて十数年、様々な答えがありました。
「役になりきる事」とか
「自分を表現する事」とか
「観ている人に勇気を与えるもの」とか本当に色々。
で、まぁ、最近一番多いのがコレ。
『自然に演じる事』
私『じゃあ、どうしたら自然に演技出来ると思う?』と問うとみんな
『?????』
これは仕方ありませんね、それが判らないから学びに来ているわけですから。
では、お答えしましょう。
今の演技のグローバル・スタンダードはコンテンポラリー・リアリズムと言って
役者が『役を演じる』のではなく
『役を生きる』という演技法です。
『自然な演技』とはつまり『役を生きる』演技のやり方を日本流に言い直したものです。
答えは分かりましたね。
『自然な演技』を習得するには、『役を生きる』為の演技術を学べば良いのです。
『じゃあ、そのやり方説明してくれ?!』
ハイ、説明はいくらでも出来ますが、習得するには心と身体を使って稽古するしかないんですね。
演技はお稽古事ですから。
で、まぁ・・・
ここでは、説明というより、想像のヒントになるエピソードを以下にたしなめます。
先日、受賞式のあった米国アカデミー賞の主演男優・女優賞などはこの様な演技(役を生きる)のクオリティに対して授与されるモノで、役者が『演じてます』風な演技は評価の対象となりません。
だから伝記モノは強いです。
メリルの『サッチャー』とか
ダニエルの『リンカーン』とかね。
演技派の役者が実在の人物を生き生きと演じる(生きる)と受賞の可能性はグンと跳ね上がり
いわゆるアカデミー賞狙いの作品ということになる訳です。
はい、大きなヒントとなる一節だったでしょう。
以下は私の小さなボヤき。
演技派の役者が実在の人物を生き生きと演じる…そしてアカデミー賞…
『ちょっとコレ』って思うんです・・・
そりぁ、実際に実在した人物演じるのは大変ですよ。
観る人が『あっ、こんなのあの人じゃない』と思ったらアウトなので
繊細なリサーチと演技力が要求されます。
でも実在の人物を演じてる演技が=『役を生きる』演技の最高峰的ノリは私、個人的に・・・
あまり好きになれないんです。
私がニューヨークにいた時にデ・ニーロが20キロ太って
『レイジング・ブル』という映画で実在のボクサーの役を演じてアカデミー賞を受賞しました。
その時、ある新聞では
『演技は創造(creation)か?ドキュメンタリーか?』
っていう書評が出され話題になりました。
(演技芸術は想像力による創造ではなく、写実オンリーのドキュメントの模倣か?という問題提起)
勿論、デ・ニーロ先生の鬼気迫る役づくりには脱帽で、同じ役者として敬意を評します。
が・・・なんだかなぁ・・・
アカデミーの審査員の方々もねぇ…もう少し、荒唐無稽な作品で有り得ないキャラに命を吹き込んでる役者の人達にも目を向けて上げてもいいじゃないのって思うことあります。
私がファンのSF映画のキャラなんて、レースにも入れて貰えない駄馬扱いだもん。
可哀想だよ。
実在の人物ならリサーチも出来るけど、フォースを使えるルークなんてどうやってリサーチすんの?
『ダース・ベイダー?何ソレ?新しい鉛筆?えぇっ、この人、どんな人生…?どんな癖あるの?
っていうかコレ、人なの?』(ルーク役・マイクハミル談 嘘)
『ヨーダ?オビ・ワン?エッ?犬のこと?えっ、あぁ・・師匠的存在って事?何の先生??』(ヨーダの声担当フランク・オズ談 嘘)
ってな感じで手がかりどころじゃ無い中必死で役作りして、キャラクターに説得性持たせた役者の技術も評価してしかるべきだと私は思います。
私も仮面ライダーアナザー・アギトやった時、誠実に、そりゃもう誠実に
木野薫というキャラクターを生きる様に心がけましたよ。
あたかも木野が実在であるかの様にね。
心の中では変身してました、毎回ね。
『役を生きる』為の一つのヒント=自己暗示能力。
皆さんもやってみて下さい。
『フンッ・・変身!』
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