2013年4月4日木曜日

Class on Blog 6 『作品の奴隷』


若い俳優から質問されました。

『飲み会がどうしてもあまり好きになれないんですよ。
 でも、飲ミュニケーションだと思うし、分かるんですけど
 お酒自体も好きじゃないし
 ダメですかね、飲まないと

最近の若者はお酒嫌いな人多いですね。
お酒、煙草が体に悪いという保健体育の刷り込み授業が功を奏してますね。

戦後、日本をどんどん清潔な国にして、古い体質の日本人は
どんどん生きづらくなる世の中です。

ってな事を開高健さんが言ってましたね。ドキュメントで。
賛同です。
煙草!イヤ! って政府が決めたら全員が右向け右で権力が変わってしまう。
この集団ヒステリーはナチズムになりやすい危うい国民性を象徴していますから、
各個人が各個人として責任を持てる大人な社会を目指していきたいなと改めて思います。

と、大人な前提があった上で、若手俳優への回答をしてみようと思います。

はい、Class on Blog!! 『創作現場に飲ミュニケーションは必要か?』

回答。

創作に有効なコミュニケーションは必要。
ただし、日本人は大家族主義の為、有効なコミュニケーションを超えて
ただの酩酊状態の共有による幻想コミュニケーション(仲良くなったという幻想)に
至る事が多いので、そこを注意する事。

分かりましたか?

分かりづらい?仕方ないなぁじゃぁ、詳しく説明します。

『私は過ぎたる仲間意識というヤツを好みません。』

日本人は大家族主義ですから、何かと言えばとかくツルム。
ツルムと『なあなあ』な体質が出てくる。
それは創作の敵でこそあれ味方にはならないと思っています。

だから本当の意味でクリエイターは仲間意識というヤツを好みません。

ニューヨークでよく耳にした言葉。

『俺はあいつの事は嫌いだけど、あいつの仕事は認めている』

日本でよく耳にする言葉。

『俺はあいつの事は嫌いだけど、あいつの人間性は認めてる。』

これがくせ者。

私は数々のクリエイターを見てきましたが、
一定以上のクオリティを叩き出すアーティストの殆どの人が
『単体動物系』でツルムのを好まなかったように思います。

若い俳優には体験談が一番説得力があると思うので、体験談を以下に少々たしなめます。

<<奇才 デビットリンチ監督の仕事>>

・スタッフ、俳優のピラミッド(ヒエラルキー)が明確。
 (これはハリウッド資本の現場の殆どに共通)
・17時に撮影が終わるとすぐそれぞれの家に帰る。
・俳優はとても大切に扱われる。
・ギャラは高額で、俳優個人のプライベートスペースが完全に確保されている。
・ケータリングは対スタッフに対しても俳優と同様ですごく豪華。

あまりにも空気感が素晴らしい現場だったので
その時ロケバス内で一人のスタッフに聞いた素朴な疑問。

私『皆、監督誘って飲みに行ったりしないの?』
スタッフ『え?飲みになんて行かないよ。だって仕事は仕事でプライベートは別でしょ』
私『あ、そっか』
スタッフ『日本て、監督と飲むの?』
私『そうだね皆、飲みたがる。』
スタッフ『仕事終わってんのに、疲れない?』

異論なし。と、33才位の頃の私。

勿論、仲良くはするし、たまには飲みにも行ったりします。
監督にとって一部の俳優と時間を共有する事がクリエイションの為になる事もありますから。
でも、無駄に、なぁなぁの付き合いは絶対しませんでした。
監督も俳優もスタッフも、飲み会が楽しくないから行かないのではなく、
自分のアートの首をしめる事になる未来がイメージ出来ちゃうから行かないんです。

<<妖才 美輪明宏の名言>>

美輪さんも必要以上の付き合いは絶対にしません。

『人とは腹六分で付き合いなさい』

と、美輪さんは私にいつも言っていました。
この言葉の真意をこうも説明してくれました。

『十割で付き合ったら、相手は相手のエゴがあるし、
 こちらはこちらのエゴがあるし、上手くいく訳がないでしょ。』

異論なし、というかすげぇなぁ、本当に、と毎回思わされます、この人には。

必要以上の付き合いで、十割の仲良しになってしまったら、
相手のエゴがどうしても出てきてしまい、それがクリエイションの邪魔になる。

美輪さんは、
『売れている人だから人付き合いが面倒でそうしている』のではなく、
『己のアートを守る為の必死の行動』として人を避けているのだと私は感じました。

巨匠二人の例を挙げてみました。

『若手俳優君、これで分かりましたか?』

は?偉大すぎる人だとちょっとかけ離れ過ぎてて

本当に仕方ないから身近なクリエイターを例に挙げましょう。

<<身近な監督・演出・俳優 樋口隆則(菊池隆則)の場合>>

私はあまり飲み会が好きではない人と思われています。
でも、飲む事は実は大好きです。
でも、稽古中の俳優とは極力飲みに行かないと決めています。
俳優同士で飲みに行っても、自分だけは別の店で飲む、という風に一線をおかないと
アーティストとしてクリエイションに対して自分を保てないからです。

だから、俳優としても特定の監督や演出家とは仲良くなりませんし
演出や脚本家としても特定の役者達と仲良くし過ぎない様にしてます。
最低限度の礼節と人間関係をスムースに運ぶ程度のコミュニケーションがあれば
創作には充分だと思っているからです。

必要以上にツルムと人はお互いに『甘え』を生じさせる。

俳優は『この監督なら付き合い長いから、少々のわがままは大丈夫だろう』
と知らず知らずの内に礼節を欠き、役者のつまらないエゴを持ち込んだりする。

演出家や監督も『まあまあ、こいつはこんなもんだから』と妥協したり。

これは、私に言わせれば創作活動ではなく、サークル活動です。

(新人俳優でとりあえずキャリア積まなきゃとかプロの俳優で今月生活苦しいから金の為 には営業しなきゃとかだったらまだしもですが、お金にもキャリアUPにもさほど繋がら
 ない様な創作現場((小劇場的なモノや自主映画的なモノ))に関わって、更に飲んで
 クリエイションの追求もしないってなったら、本末転倒。アートではなく、仲間作り=
 サークル活動という事になります。)

でも現場の皆が飲み会に行ったら行きたい気持ちはあるから、さみしく思う事もある。
現場によっては長年の仲間がいる時もあるし、友人だったりする事もあるしね。

でも我慢です。

我慢して『飲み会の似合わない人間』『付き合いづらい人間』
=『俺はあいつの事は嫌いだけど、あいつの仕事は認めている』
と言われる人間である事をイメージし続けています。

はい。樋口隆則の例でした。

3人の例をまとめてみましょう。

上述した監督、演出家、演者の例で共通しているのが、
皆、「クリエイションの奴隷」であるという事。
飲み会という日常の快楽を捨て、
クリエイションの成功という非日常の快楽を得ようとしているのです。

このジャンルにおいて、プロデュサーも脚本家も監督も俳優やスタッフも
一つの作品を創作する為には

『その作品のしもべとなる』
覚悟を決めるべきです。
そこにベクトルを合わせずに、未熟さからくる自分のエゴや、パワーゲームに
(日本のプロの場合、拝金主義に)傾き過ぎているからいい作品が出来ないんです。

皆さん、どうかツルム前に『作品』にベクトルを向けるという事を
もう一度考えてみましょう。
そうすればあなたの創作レベルは格段に上がりますし、あなたを取り巻く環境も少しは風通しが良くなりますよ。
そして、『飲ミュニケーションって必要ですかねぇ』なんてくだらない事に
悩む若者が、すっきりした気持ちでクリエイションに関われるような現場を
作ってあげて下さい。

『若手俳優君、分かりましたか?
 必要ないと判断したら行かない。信頼する監督に、パワーゲームではなく
 クリエイションの為に誘われている、飲めと言われてると思ったら、
 信頼の度合いによって判断する事。それ位は可能な筈。
 
 それで、反感喰らうようなら、そんなツルミは
 とっととサヨナラした方が身のためですよ。
 それは、創作という隠れミノを着た、甘えとエゴでのたうっている
 気色悪い幼虫かもしれませんから。
 幼虫が蛾になったら襲われますよ。』

あ、最後にもう一つ。

酒というのは一つの嗜好品です。
役作りには実行出来るものと出来ないものがあります。
俳優は、なるべく体験した方がいいけれど、
自分が死ぬ事や、人を傷つける事は意図的には体験出来ませんね。

だとしたら、お酒の酩酊状態を何故、過去の先人達はあんなにも楽しんでいたのか?また、必要としていたのか?を考える想像力は俳優として必要なものですよ。
自分が酒嫌いなのは、自分個人の判断ではなく、当時の学校教育の洗脳だという疑いもまずは持つ事。
それ位の洞察力と自分に対する厳しさを持って日常と自分に対峙し続けないと、多くの優れた脚本を読み込む事は出来ません。

はい。Class on Blog でした。





0 件のコメント:

コメントを投稿