演劇と恋愛?
『私、OOO大好きなんですよ~ッ』
人がこういう言い方をする時、いつも私の頭をよぎる事2つのパターンあります。
パターン①
『この人は本当にOOOが好きなのかな?
もしかしたらOOOを好きな自分が好きなだけじゃないの?』
コレ、演劇における多数派。本当に多いんです、自己愛の延長型他者愛。
ナルな人達が多いですからね、役者は
演技に向かってるんじゃなくて、演技に向かってる自分にいつもフォーカスのある人。
私が長い芸能生活で、ご一緒させて頂いた役者の方々も大体、
自己愛型の役者と演技を対象とする他者愛型の役者に分かれます。
勿論後者の方の方がイイ役者さん達です。
人の恋愛も同様ですけどね。相手を本当に好きなのではなく、相手を好きな自分が好き。
という事で次は恋愛
パターン②
『この人は本当にOOOが好きなのかな?
だとしたら、この大いなる誤解はいつまで続くのかな?』
コレ、恋愛における多数派。まぁ、そもそも恋愛が大いなる誤解ですからね。
「どうしようもなく愛おしい」「狂おしいほど抱きしめたい」
歌詞にはたくさんの切ない愛を綴ります。
世の中には超ブ男と美人が付き合っていたりします。
だから聞いてみました。
『ねぇねぇ、あの彼のどこがいいの?』
『えぇ?私にしか見せない一面かなぁ・・・』
『何ソレ?彼、お金持ち?』
『うん』
『まぁ、それは大事だよね、性格はイイの?』
『社長だからね、皆には怖がられてる。でもお金持ちだからって訳じゃないよ』
『ふ〜ん。じゃあどこよ?』
『だからさぁ、会社だとすごい怖いけど、二人の時に甘えてきたりすると
わぁ~ってなっちゃうからかなぁ・・・・』
ハイ、これでよく分かりました。
〝彼を本当の彼自身にしてあげられる唯一の人″が自分だからです。
=〝自分がいなかったら彼は彼でなくなるからです。
『自分がいなかったら』がポイントでこの場合も、相手が本当に好きなのではなくて、
彼の存在が自分のアイデンティの証明になってる訳です。
めでたく社会における自分の存在証明を彼女は勝ち取りました。
〝恋愛は大いなる誤解″とよく言われる理由が分かりますね。
でも、この誤解が永遠に続けば、二人は円満がおしどり夫婦と呼ばれるのでしょう。
よく小さな犬等をペットにされてる女の人もコレと同じ様な傾向が見られます。
ペットとの関係で存在証明をされてるので、気の毒に異性とはドンドン縁遠くなられてます。
まぁ、演劇に関しては恋愛のように誤解し続けるのはとても難しいです。
お金を稼ぐのも難しいし・・・
だから、①のパターンが多いのでしょうね。
演劇というアートの追求をし続けている自分が好き!
『私、OOO大好きなんですよ~ッ』
という人に対しての印象2点についての説明でした。
なぜ今日はこんな事を書いたかと言うと・・・Class on blog
日本の幼児文化に軽い終止符を打ちたいなという提案の為です。
子供のままで、追求している状態で終わるのでは、
本当の意味で大人でもアーティストでもないと思います。
なぜなら、そこには理論がなく、自分の好みとセンス(好き嫌い)だけだから。
好き嫌いは感情です。感情ではなく、理論にしてみる事で
社会的な大人として物を考えてみませんか?という提案です。
日本は、幼児性を愛する希少な文化国です。
でも、幼児性を愛する文化に流されると、自分のアートや職業は成長しません。
面白いもん作っている人は、幼児のようで、大人で体系化された理論があり、
幼児性をコントロールしている人の方が多いです。
追求している自分が好き、ではなく、その先に行っている。
引退した中日ドラゴンズの落合監督が、
『最近の選手は野球が好きですからってよく言うけど、好き嫌いでやってる内はまだダメなのよ』
みたいな事を言った時、私、ポンんと膝を打ちました。
続いて監督は
『自分は、野球が好きとか嫌いとか考えた事ない、だって仕事だからプレーの質を上げるのは当然でしょ?プロなんだから、好きだから練習するとか、そういう問題じゃないんだよ』
ハイ、恐れ入りました。スポーツ・マンのなんと明快な事か。
他者愛の本質とはこの落合監督の言葉が表す様に、
其のモノと向かい合い続けるある種の『覚悟』であり
『継続した行動』じゃないんでしょうか
決して
『だって、私、今OOO超好きだから~ッ』的な
甘いモノでは無い様な気がします。
じゃなきゃ人を圧倒するプレーして、感動させる事なんか出来ないと思います。
自己愛型演劇ではなく
他者愛型演劇にしていく事で、総合芸術というアートの一部になれるのでしょうね。
一部になった時に初めて個のアートが認められるという複雑なジャンルです。
大変ですが、理論でも理解して、それでいて子供の様に純粋で自在でありましょう。
私も頑張りま~す。
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