先ほど1STシーズンの詳細をFACEBOOKにUPしました。
クラス内容のグレードアップについてです。
今期からシーン・スタディとして〝古今東西の名作″における良いシーンを
教材として使って行こうと思います。
こう言うと、参加した事のある方達から
『えっ、今までもそうだったよね?」
という声が聞こえそうですが、違います。
追って説明に至りますが、まずは名作を教材として使用する意図から説明させて下さい。
意図は、参加俳優達の『視点』と『発想力』を拡げてもらうためです。
いつの時代も俳優という者ははややもすると自分の好きなモノ、向いているモノに流れがちです。
それは俳優という業種がアートだからです。
が、実際の俳優という職業は自分の好みだけでできるでしょうか?
答えは ノー です。
だって総合芸術だから。
だからプロフェッショナルな俳優達は、向いてない事にも
どうにか自分を対応させ、俳優としての幅を広げながら、
最終的には自分に合った役を勝ち得て行ったり・・・という道のりがあるわけですね。
(逆のパターンで、スターウォーズのルークやキャバレーのライザミネリのように
若いうちに完全な当たり役にはまってしまい抜けられなくなることもあります)
そして、最近の俳優の傾向として(これは俳優に限らずだと内田樹さんが言っていますが)
好きな映画、好きな舞台、好きな俳優の事はよく知っていても、それ以外の事となると
『?・・・・・・』
という事が多いのです。
自分の好きなものだけ食べ続けていたら、偏った身体になりますよね。
同じように、偏った演技をする俳優になります。
それが画家だったり、作家だったり、歌手だったりと、単体アーティストなら
まだ救われる可能性もありますが、
俳優というのは、作家と監督と演出とプロデュースの意図を組んで表現するという
大変アーティスティックからほど遠い職人的技術をまずは求められるのです。
ここまで書くと・・・偏食家ではやっていけない職業だという事が分かってきますね。
私は、ニューヨーク時代、劇団時代、またプロの仕事として、好き嫌いは置いといて、
それこそありとあらゆるタイプの芝居に出演し(せざるを得ない状況に追い込まれ)
多くの事を経験し学びました。
そして、自分への戒めとして常に脳裏に置き続けた言葉が・・・
『技術を習得したいのなら、自分のセンスはひとまず置いておく』
コレ、SYMBION参加者はわかると思います。
よく私が皆に言う事で、私の数々の痛烈な経験から生み出された言葉です。
それこそ、私だって嫌いなタイプの芝居に出演してる時などは、嫌で嫌でしょうがないんです。
人間ですから・・・
でも(特にプロで仕事をする場合は)一旦仕事を受けたらどんなヘボい仕事でも
『文句は言わない。愚痴もたれない。至って冷静にその場においてのクオリティを上げる。』
が私のモットーです。
その為に私はどんな現場でも、自分のアンテナを張りまくり、
『ただじゃ転ばねーぞ。相手の土俵に上げられても、俺は負けねーぞ
(俺が負けないって事は、俺の役が生きて、監督の作品が成功に導かれる一助になるから)』
と、苦手な事も克服してきたのです。
自分の技術力に余る脚本や演出に出会う時程喜ばしい事はありません。
それこそ発想力、視点の拡がりを感じさせてくれます。
でも、逆にダメな脚本、演出、共演者との仕事も・・・
ダメであるが故に私の視点や発想力は拡がり、
それが今や演出家としても脚本家としも武器になっているところもあるのです。
先日、ある年配参加者の人に
『どうしたら俳優に必要な発想力って身につくんですかね?
っていうか、視点ってどうやったら広がるんですかね?』
その時は
『経験がモノを言うから、焦らずにやりな』と答えたんですが・・・
トレーナーとして観念的な答えをしている自分に嫌悪し、そこから数日、
自分の頭の中でシコシコと、具体的な「発想力」と「視点の拡がり」の導き方を模索しておりました。
で、出た答えが
『そうだ!俺がやってきたように色んな戯曲演じさせて、時には苦手な事もやらせよう』
でした。
今までとの違いがここでやっと説明できます。
というか、もうわかりますね。
答えです。
<<古今東西の名作には、難攻不落の脚本も含まれる>>
例:シェークスピアや、ドイツ表現主義戯曲、ブレヒトの教育劇、フランスのコメディ、
果てはミュージカル レ・ミゼラブルの歌詞=戯曲!まで。
これ、現代演劇の基礎とされるロシアのシステムを学ぼうとする時には
シェークスピアや欧州の戯曲または日本の歌舞伎等は様式的なので
今までは外されがちだったんです。
(もちろん、ロシアのシステムでマクベスやハムレット等をリアルに描いた演出は
過去に多々ありますが、あくまでも教育の一貫としてはあまり使われなかったという事です)
というか、朗々とした美しい詩で構築された素晴らしい戯曲を
現代の人間のようにリアリズムを持って演ずるには
世の中の演技術はまだついてきていなかった。
だから、現代社会における、リアルな人間像を描いた
いわゆる『リアリズム台本』が、演技教材としては適していたのです。
教育現場での古今東西の名作は今まででの方向性で言うなら
『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』や
『楡の木陰の欲望』や『人形の家』『かもめ』または
『男女七人夏物語』に至るまで
幅は広いけれど、あくまでも生活時空間が想像しやすい
現代の人間像を描いたものでした。
でも、SYMBIONの俳優、またはSYMBIONにこれから関わるであろう俳優に
更なるグローバルスタンダードを伝達するには、
リアリズムありきの表現主義=コンテンポラリーリアリズムを伝える段階に来ているのです。
(ブロードウェイでは今、マクベスが現代劇のような演出で上演されています。
Three penny operaをやった俳優さんがマクベスをやっています。
確か、イギリスの俳優だったかな。)
ワークショップは学びの場です。
今までシンビアンでキャリアを積んだ俳優達も失敗を恐れず改めて取り組んで下さい。
これからは各シーズン毎に取り組む戯曲を発表した上で参加を募ります。
そのテーマに興味がある人は元より
苦手だなと感じる人や、興味のないなと思っちゃった人達こそ
是非参加してもらいたいのです。
それが、視点と発想力を身につける為の確実かつ唯一の道だと
私は経験上確信するからです。
更なる飛躍を目指して下さい。
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