ポリシーなき世界にて
ポリシーとポエジーを並走させた三國さんへの追悼として。
尊敬する俳優さんの一人、三國連太郎さんがお亡くなりになられました。
昔、TVで放映されたドラマの中で氏はゴウツクな老人を演じていらっしゃった。
寝床から起きざまに、ナマナマしくユダレを垂らしながら、鬼気迫る演技でした。
その姿はまだ俳優というモノを意識していなかった若い私の目にも
『このおっちゃん、只者じゃない』という印象を与え、学校に行くとみんなが
『松田優作カッコイイよな』
『やっぱ、ショーケンだろ』
と話してる中、私は一人ある種の優越感を感じながら
『馬鹿、本当にスゲーのは三國だぜ』
後日、友達とショーケン(萩原健一・当時の若者のイコン的存在)が主演した
『雨のアムステルダム』という映画を観に行った時も、出てましたねご贔屓の三國さんが。
しかもショーケンに惚れてるホモの富豪のおっちゃんの役で。
で、やっぱりその映画でも三國さんの演技は濃ゆくて、匂ってきそうな演技でした。
『やっぱり、三國スゲーッ!』
役者を志してから、三國さんが出演している色々な映画を勉強させて頂くつもりで拝見して、青春の時期、私が感じた『スゲーッ』はやっぱり本物だったんだと実感し、更に尊敬の念は高まりました。
『匂いのある役者』
これ、私が好きな役者さんのタイプです。どんなに美男・美女でも、演技が上手くても、
私は匂いのない役者さんを好きにはなれません。国内でも海外でも
その存在から詩情を感じるというか・・・
ポエティック風はたくさんいますよ、そういうのはナルですから、NG。逆に大嫌いです。
ポエジーはポリシー無き者には醸し出せません。
人は往々にして、流されてしまいがちな生き物です。まして浮草稼業の芸能界を生活の糧=職業としている人ともなれば尚更のこと。
一端三國さんの様にポリシーを持てば流れに抵抗することになります。
つまり・・・足元が危うくなる。
その危ない綱渡りをやれる人だけがポエジー、特有の匂いを纏えるのではないか
と、今回の三國さんのご逝去から考えされられました。
人は三國さんを『異端児』だとか『怪優』と片付けますが
氏の人生が表現したものはアーティストとして、またクリエイターとして
最も王道で、最も誠実だったような気がします。
親の最後の教育は、親自身の死を子に体験させることだと言います。
多くの若き俳優の師である三國さんへ謹んで御冥福をお祈りします。
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