2014年8月20日水曜日

Class on blog 10 『カッコつけ過ぎ』について


ワールド・カップの時にブログを書いてから、もう二ヶ月が経ちました。

その間に脚本の執筆やら、撮影やらとなんだかんだと忙しく過ごしていると

今年も、もう後半の3分の1となる訳でまさに『光陰矢の如し』です。

 

人間若いうちは時間がたくさんあると誤解しているので

『この先何をするか』を考えますが、歳を重ね『矢の如し』を実感すると

『この先何をしないか』を考えるようになります。

 

そこで今日のお題

『カッコつけ過ぎ』。

 

コレはヒグチが『この先、何をしないか』のリストに

しっかり入れている事柄です。

 

兼ねてよりヒグチは『日本人って結構みんなカッコつけ過ぎじゃない?』

って皮肉いっぱいに思っているところがあります。

 

先日、諸々ハードスケジュールの疲れで、普段見ないテレビをボーッと見ていると

某局の『SONGS』という番組で、80年代女子アイドルの特集をやっておりました。

一人は言わずと知れたS子ちゃん。

たいしてスタイルも良くないのにロングドレスを着て

髪を連獅子の様にアップに上げ、顔にはメイクばっちり、パールの塗りすぎで

キラキラ通り越して宇宙人の様になっている。

 

『この人凄いなぁ、幾つまでこれやるんだろう・・・』と

見世物としては最高に面白いS子ちゃんを拝見していました。

何が面白いかというと、もう嘘がバレてるのに本人が至って大真面目に

今だに『ぶりっ子』をし続けている所です。

その姿に、一点の曇りも己に対しての疑いも感じさせないのは大したものです。

いくら批判されようが、馬鹿にされようが『私はコレです!何が悪いの!』と

自分で責任取っているからです。

 

日本では他にはE.YAZAWAさんもそうですし、アメリカではマドンナを始め、

スターと言われる人間は殆どこのタイプ。

重要なポイントは『常に矢面に立ち、自己責任の元、行動する』という事

これはヒグチにとって『カッコつけ過ぎ』には入りません。

 

では、何が『カッコつけ過ぎ』かというと、

同じくその『SONGS』に登場したTちゃん。

K川映画で主役デビューして、今テレビではコーヒーのCFなんかをやっている。

これがまた、歌がメチャ下手クソなのにカッコつけて、昔のナンバーをクラシック

・ギターでボサノバ調にアレンジして『私、オシャレで控えめでカッコいいでしょ?』ってな感じで

お歌いになっている。こういう姿を見るとヒグチは

 

『カッコつけてんなよ、馬鹿野郎っ!歌がどベタで、声も出せないからささやく様に歌ってんだろっ!

一流のボーカリスト気取りでマイク握る前に、発声練習でもして来やがれっ!』

と喝を入れたくなるのです。

 

このタイプの芸能人が日本にはたくさん存在します。

日本にはそもそも『出る杭はうたれる』と言ったことわざに分かるように

控えめな事を良しとする文化があります。

これは決して悪い事だとは思いません。むしろ謙虚さを保つ為に必要な時もあるでしょう。

しかしTちゃんのしている事は一見控えめではありますが、

出過ぎず美味しい所だけもっていけたらカッコついてラッキー!

ってな行動にしか見えません。

 

自分の才能と実力がないのを逆手に取って

『自分に無理のない、なんとなくの雰囲気』をナチュラルと言って

やり過ごしているだけの『雰囲気歌い』。

これが日本芸能界によくいる『出過ぎないズルい輩達』。

出過ぎたら、本当の実力がバレるし、責任を取らされるから回避している。

彼女(またはズルい輩達)が愛しているのは、音楽ではなく、歌っている自分の姿と

ちやほやされ、褒められているカッコイイ自分。

気持ちの悪いナルシスト野郎達です。

 

人の好みは千差万別。それぞれ好きにやればいいのですが

この様なエセ人種が日本の歌の世界や芝居の世界の大多数になってしまうのは

ヒグチは気持ちの悪い現象だと思っています。

 

芝居におけるカッコつけすぎも、歌同様、自分の才能と実力がないのを逆手に取って

『自分に無理のない、なんとなくの雰囲気』を『ナチュラル演技』と言って

やり過ごしている『雰囲気芝居』です。

 

ヒグチが演技トレーナーとして常に注意をはらっている事の一つに、

この『雰囲気芝居』があります。

『雰囲気芝居』が何故ダメかと言うと、多くの場合、

俳優が役の感情を表現している『カッコいい自分』(見られている自分)にフォーカスがあり、

本当に役が要求するものに意識がないからです。

ヒグチはそれを『状態』をやっていると表現しています。

 

古今東西、優れた俳優達の演技を見て、

また一流と言われる俳優さん達とも共演して判った事ですが

本当にカッコイイ俳優の絶対条件は必要な時は『カッコつけないでモロ身になれる』事です。

コレが全世界共通のカッコよさ。

日本の変な『雰囲気芝居』は世界に行ったら通用しません。

 

もちろん、本当に「いい雰囲気出すなぁ」という俳優の演技はあります。

でも、「あの人、いい雰囲気だね」とか

「いい空気感だね」と言った賞賛の言葉は、人様が言ってくれる言葉であり、

俳優がそれを左右して作ろうとしたらその時点で、俳優は役から離れてしまうんです。

 

ヒグチは思います。

本当の『雰囲気芝居』がゆるされる俳優は

その人の『生き方』がすでに凄いという事じゃないでしょうか。

 

(ヒグチなんて自分の生き方に反省しきりなので、とても恐ろしくて『俺の生き様を見てくれ』とばかり

 に『雰囲気芝居』なんて出来ませんわ。)

  

冒頭で書いた某局歌番組『SONG』の最後に同じく80年代アイドルのM子ちゃんが出て来ました。

M子ちゃんは障害を持った娘さんを授かった後、

『何か娘の将来の為に』と

大学院でキャリア論を学び、現在は大学で教鞭をとっているそうです。

M子ちゃんの歌は、これまたどうしようもなくお粗末。

でも彼女は少しもカッコつけずに少々シワの増えた顔で

昔のヒット曲を恥らいながら誠実に歌っていました。

その姿をヒグチは『美しい』と感じました。

 

彼女からは、『娘を守り、育て、他が為に生きる』という

本当にカッコイイ、ステキな雰囲気を感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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