2013年3月30日土曜日

Hey man ,Do the right thig ! 男の闘争心って・・・

今日ニュースで

『北朝鮮の軍事的動きに関して、牽制する意味でアメリカがステルス爆撃機で演習を行い、それに対して北朝鮮はミサイル装備をしたと発表した』

みたいなニュースがあり、これ見てまた『なんだかなぁ・・・』
と考えてました。

安易な報復は、排外主義的集団ヒステリーによって団結している独裁体制(=北朝鮮の現体制)の延命に手を貸すことになりかねない。
だから、関係諸国はとにかく静観するしかない。

現状、確かにこれしか答えはないと思うんです。

最低の手段ですが、歴史的に見てベストの手段でしょう。

でも威嚇が始まったら、威嚇に対しての報復的威嚇が始まって、後は、どっちかが引かない限り、もう意地の張り合いになってしまうんじゃないか・・・っていう予見が浮き彫りになりませんか?

女性や子供を守りたいという思いに反して、静観するしかない現状において、ただ聞き流すのも何なので、いつもの〝物事をシンプルに考えてみる″習性を使ってみようと思います。
(*注意 ここから書くことは、僕の勝手な言い分ですので、読んで損をした!と思う人がいるかもしれませんが、そこもご了承ください)

複雑な事がニュースで流れていても

『えっ、コレって結局、簡単に言えばOOOですよね』とやる訳です。

世の中は情報化社会となり、益々複雑に多様に変化していますが
人間の根本的なモノは太古の昔からあまり変わってない気がしますからね。。
で、ここで題材にしたいのが

〝男の闘争心″ でシンプルに読み解く歴史。

~~樋口的 私説 戦争観~~

南北冷戦から、長くて短い闘いの歴史が北と南の間にはあります。
それぞれの国が、他者のことなど考えずに利権争いのみで敗戦国を隷属させていた時代ですね。

日本もかつて、追い込まれて開戦という歴史があります。
少し日本を見てみましょう。

日本が敗けた時、アメリカは隷従を求めませんでした(表面的には)
『僕らは戦争に勝ったけど、君達の事を奴隷にはしないよ。
 君達のような素直でまっすぐな民衆を
 野蛮で遅れてる軍事国家から救出してあげましょう!』

民主主義の伝道者=文明へのお誘いとしてアメリカは日本に関わり、
反対勢力による血と血の争いをする事なく、美しく、安全にGHQによる占領時代に入り、
たった7年間でものの見事に『野蛮』は一掃され『文明』が日本に訪れたのでう。

鬼畜米兵に対して、簡単に順応したのは日本人が長いものに巻かれる習性があるからではありません。そこもアメリカの完璧な戦略によるものです。
天皇制の攻略が完璧にマッチしたのです。
『天皇の言うことなら皆聞くらしいから、HIROHITOにアメリカの言うこと聞きなさい』
って言わせればいいのでは??という戦略が完璧にフィットしたんですね

開拓者精神を持って略奪、強奪、隷属させる欧州的やり方ではなく、
アメリカの新時代は〝見えない・見せない支配″に変化し、最高の結果を見せたのが
同盟国となった日本という訳です。

で、民主主義になった日本で私たちは、それまで労働者として日々苦しみながら
働いていたけれど、敗戦後は、労働者から消費者に変化した訳ですね。

『冷蔵庫!テレビ!洗濯機!そして・・・夢のマイホーム!!』

今までは働けど働けど我が暮らし楽にならず・・・だった清貧生活から・・・

『働けば暮らしは夢のアメリカンライフ!!』

消費者というのは気持ちの良いものです。労働者はこき使われるだけだけど、
消費者は、お金を消費すればお礼言われて、物を買う瞬間は誰でも(子供でも)王様ですから。
だって、コンビニで100円のお菓子を買う子供にだって、無感情な店員は「ありがとうございました」としっかり丁寧語使いますからね。子供的には対等扱いにご満悦な訳です。

で、拝金主義の時代が始まりました。

このパターンは制度が崩壊した中国、ロシアも同様にたどっていますね。

で、アメリカのこういったやり方は全ての世界を画一化してしまうから、
それは嫌だ、という人も出てくる訳です。

この辺から利権+根深い感情(宗教戦争)戦争に突入していきます。

『フランスのやり方じゃベトナム制圧出来ないだろうけど、
 俺らのやり方なら、ベトナムやれるぜ!』で、ベトナム戦争が開戦する訳です。

アメリカの正義は
『文明を後進国で苦しむ民衆に!!民主主義を民衆に!!』です。
でも、この掛け声と共に植民化しようとしているのは事実なもんだから、
エドワードサイードの『文明と野蛮』で、文明を押し付けようとする事そのものの方が
野蛮であり、西洋的文明を上に見て、東洋的文明を下に見ているという考え方が
おこがましく、ひどく野蛮というような論文が出たら、アメリカのやってることこそが
ひどく野蛮だとばれてしまった訳です。

でも、アメリカだってそんな簡単に方針は変えられない。
アメリカはアメリカの今までのやり方がある。(たった200年なだけど、勢いで勝ち続けてきた歴史がある訳で、それを覆したくないという思いが強まるのは当然かもしれないけど)

北朝鮮だってそんな簡単に方針は変えられない。
南北冷戦は休戦したとは言っても、経済制裁受けたら独裁者としての立場もある。
(昔、日本では国が貧しくて民が飢えた時に、隣国から略奪しない、させない領主は
 ダメ領主とみなされ、一向一揆という民によるクーデターが起こされていました。
 独裁政治につきまとうクーデターへの恐怖は今の北朝鮮が最も危ぶむところでしょう)

アメリカはアメリカのやり方で!!
北朝鮮は北朝鮮のやり方で!!
アメリカにはアメリカのトップ達の立場があるんだよ!
北朝鮮には北朝鮮のトップ達の立場があるんだよ!!

こうなってくると、今までの戦争はそもそも利権争いがメインだったのに、
今回のこれは、どうも男のくだらない闘争本能と意地に起因しているように思える。
ただそれを取り巻く環境が日増しに加速的に複雑化しているだけで。

ここまで書いて(相当ざっくり書きました。乱暴な部分はご了承願います)
最初の空白を埋めてみましょう。

『えっ、コレって結局、簡単に言えばOOOですよね』


『えっ、コレって結局、簡単に言えばアメリカンプロレスですよね』

突然ですが、番組スタート(アメリカンプロレス用 台本 シーン1)

♪音楽と共に番組挿入歌流れる。
 ショー的要素の強いアメリカン・プロレス番組がスタート。
 本日のメインイベンター両者が試合前にカメラに向かう。
 筋骨隆々。どちらもが脂ぎった腕、胸、腹筋、腿で相手(カメラ)を威嚇する。
 

 悪役(ヒール)が相手に近寄る。と、正義漢が

『またぐなよ!(←わかる人だけ笑ってください)』

 正義漢が相手を制する。悪役が口を開く。

 
『俺のパンチはなぁ・・・早ぇぇんだよ!
 キックときたらなぁ・・・骨まで砕けんだからな!!』
 

 再び正義漢

『またぐなよ!!』

 と、悪役の領域侵犯を制する。

『こっちにはよぉ・・・お前の知らない裏技があるんだよ!!
 棺桶に片足つっこんでるぜ、おまえよぉ・・・』

 と、悪役の応戦。そして再び正義漢が

『またぐなよ!!』

『またぐぞ!!』

『またぐなよ!!』

『裏技出すぞ!』

・・・・・・・・・

と、これが1953年に結ばれた休戦協定が2010年に事実上崩壊した瞬間から、
延々と続いているように見えるんですよ、僕には。

で、この場合の正義漢と悪役ですが、
1、アメリカ視点(アメリカ国内)では、アメリカが当然正義漢役ですね。
2、北朝鮮視点(北朝鮮国内)では、北朝鮮が当然正義漢役ですね。

これは、僕の中でイスラム原理主義とアメリカにもあてはまるなぁと思っています。
(勿論、世の中ここまで単純じゃありませんよ。
 最初におことわりしたように、単純化してみるという僕の習性です。)

アメリカンプロレスに見えちゃう位、実は単純なことで戦争って起こったりする。
ただ、戦争の困る所は、いつでも迷惑こうむるのは民衆ってところ。
迷惑の度合いが、人命まで至ると、もうどうしようもないですよね、静観の域を超える。

個対個の場合は明らかに戦闘能力の劣ってる方は、分を心得ているので
自分より強い相手との戦いは避けでしょ?
ボクシングのおけるマッチメイクとかランキング制がこれに当たる訳で、ある程度実力の見合う相手でないと勝負はしないし、させない。

でも、国対国になると、分をわきまえる所か、強い相手にも平気でつっかかってゆく。
かなう訳ないのに、外交戦略という名の元に・・・
『だって、最初に死ぬの俺じゃねぇし。前線には行かないからさ、さすがに』
そんな事思われてたら、軍隊もやりきれないですよね、本当に。
民間人なんて本当にいい迷惑。
高額の税金払ってんのに!!

アメリカもアメリカだけど、北朝鮮には本当に辟易。

やってる事があまりにも子供。

米朝対立にだけは巻き込まれたくない(ってか同盟国だし、配下だから巻き込まれない訳がないんだけど)って心底思う。

はぁ・・・
『人間の作った文明って一体なんだろう?』

多くの人達、多くの家族、多くの子供が暮らす国と国。
どうかプロレスラーのようなマッチョなパーフォーマンスには
早く終止符を打って、お互い文明人らしく、民の為に話合いましょうよ。

『テメーッ、俺のこと本気で怒らせやがったな、じゃあ俺の最終兵器
 ヌークリア・ボム(核爆弾)だ!受けてみろ!』

なんてならない内に。

日本は唯一の原爆被爆国にして原発被爆国です。

どうかこれ以上の文明による負の遺産を増やさぬようお願い致します。
本当に。

Hey man, Do the right thing!




2013年3月29日金曜日

Class on blog 5   自己愛型俳優

演劇と恋愛?

『私、OOO大好きなんですよ~ッ』

人がこういう言い方をする時、いつも私の頭をよぎる事2つのパターンあります。

パターン①
『この人は本当にOOOが好きなのかな?
 もしかしたらOOOを好きな自分が好きなだけじゃないの?』

コレ、演劇における多数派。本当に多いんです、自己愛の延長型他者愛。

ナルな人達が多いですからね、役者は
演技に向かってるんじゃなくて、演技に向かってる自分にいつもフォーカスのある人。

私が長い芸能生活で、ご一緒させて頂いた役者の方々も大体、
自己愛型の役者と演技を対象とする他者愛型の役者に分かれます。
勿論後者の方の方がイイ役者さん達です。
人の恋愛も同様ですけどね。相手を本当に好きなのではなく、相手を好きな自分が好き。
という事で次は恋愛

パターン②
『この人は本当にOOOが好きなのかな?
 だとしたら、この大いなる誤解はいつまで続くのかな?』

コレ、恋愛における多数派。まぁ、そもそも恋愛が大いなる誤解ですからね。

「どうしようもなく愛おしい」「狂おしいほど抱きしめたい」
歌詞にはたくさんの切ない愛を綴ります。

世の中には超ブ男と美人が付き合っていたりします。
だから聞いてみました。
『ねぇねぇ、あの彼のどこがいいの?』
『えぇ?私にしか見せない一面かなぁ・・・』
『何ソレ?彼、お金持ち?』
『うん』
『まぁ、それは大事だよね、性格はイイの?』
『社長だからね、皆には怖がられてる。でもお金持ちだからって訳じゃないよ』
『ふ〜ん。じゃあどこよ?』
『だからさぁ、会社だとすごい怖いけど、二人の時に甘えてきたりすると
 わぁ~ってなっちゃうからかなぁ・・・・』

ハイ、これでよく分かりました。

〝彼を本当の彼自身にしてあげられる唯一の人″が自分だからです。

=〝自分がいなかったら彼は彼でなくなるからです。

『自分がいなかったら』がポイントでこの場合も、相手が本当に好きなのではなくて、
彼の存在が自分のアイデンティの証明になってる訳です。
めでたく社会における自分の存在証明を彼女は勝ち取りました。

〝恋愛は大いなる誤解″とよく言われる理由が分かりますね。
でも、この誤解が永遠に続けば、二人は円満がおしどり夫婦と呼ばれるのでしょう。
よく小さな犬等をペットにされてる女の人もコレと同じ様な傾向が見られます。
ペットとの関係で存在証明をされてるので、気の毒に異性とはドンドン縁遠くなられてます。

まぁ、演劇に関しては恋愛のように誤解し続けるのはとても難しいです。
お金を稼ぐのも難しいし・・・

だから、①のパターンが多いのでしょうね。
演劇というアートの追求をし続けている自分が好き!

『私、OOO大好きなんですよ~ッ』
という人に対しての印象2点についての説明でした。

なぜ今日はこんな事を書いたかと言うと・・・Class on blog
日本の幼児文化に軽い終止符を打ちたいなという提案の為です。

子供のままで、追求している状態で終わるのでは、
本当の意味で大人でもアーティストでもないと思います。
なぜなら、そこには理論がなく、自分の好みとセンス(好き嫌い)だけだから。
好き嫌いは感情です。感情ではなく、理論にしてみる事で
社会的な大人として物を考えてみませんか?という提案です。

日本は、幼児性を愛する希少な文化国です。
でも、幼児性を愛する文化に流されると、自分のアートや職業は成長しません。
面白いもん作っている人は、幼児のようで、大人で体系化された理論があり、
幼児性をコントロールしている人の方が多いです。
追求している自分が好き、ではなく、その先に行っている。

引退した中日ドラゴンズの落合監督が、

『最近の選手は野球が好きですからってよく言うけど、好き嫌いでやってる内はまだダメなのよ』

みたいな事を言った時、私、ポンんと膝を打ちました。

続いて監督は

『自分は、野球が好きとか嫌いとか考えた事ない、だって仕事だからプレーの質を上げるのは当然でしょ?プロなんだから、好きだから練習するとか、そういう問題じゃないんだよ』

ハイ、恐れ入りました。スポーツ・マンのなんと明快な事か。

他者愛の本質とはこの落合監督の言葉が表す様に、
其のモノと向かい合い続けるある種の『覚悟』であり
『継続した行動』じゃないんでしょうか

決して

『だって、私、今OOO超好きだから~ッ』的な

甘いモノでは無い様な気がします。
じゃなきゃ人を圧倒するプレーして、感動させる事なんか出来ないと思います。

自己愛型演劇ではなく
他者愛型演劇にしていく事で、総合芸術というアートの一部になれるのでしょうね。
一部になった時に初めて個のアートが認められるという複雑なジャンルです。
大変ですが、理論でも理解して、それでいて子供の様に純粋で自在でありましょう。

私も頑張りま~す。



2013年3月28日木曜日

Class on Blog 4 俳優の視点又は発想力という事

先ほど1STシーズンの詳細をFACEBOOKにUPしました。

クラス内容のグレードアップについてです。

今期からシーン・スタディとして〝古今東西の名作″における良いシーンを
教材として使って行こうと思います。

こう言うと、参加した事のある方達から
『えっ、今までもそうだったよね?」
という声が聞こえそうですが、違います。

追って説明に至りますが、まずは名作を教材として使用する意図から説明させて下さい。

意図は、参加俳優達の『視点』と『発想力』を拡げてもらうためです。
いつの時代も俳優という者ははややもすると自分の好きなモノ、向いているモノに流れがちです。
それは俳優という業種がアートだからです。
が、実際の俳優という職業は自分の好みだけでできるでしょうか?

答えは ノー です。

だって総合芸術だから。
だからプロフェッショナルな俳優達は、向いてない事にも
どうにか自分を対応させ、俳優としての幅を広げながら、
最終的には自分に合った役を勝ち得て行ったり・・・という道のりがあるわけですね。
(逆のパターンで、スターウォーズのルークやキャバレーのライザミネリのように
若いうちに完全な当たり役にはまってしまい抜けられなくなることもあります)

そして、最近の俳優の傾向として(これは俳優に限らずだと内田樹さんが言っていますが)
好きな映画、好きな舞台、好きな俳優の事はよく知っていても、それ以外の事となると

『?・・・・・・』

という事が多いのです。

自分の好きなものだけ食べ続けていたら、偏った身体になりますよね。
同じように、偏った演技をする俳優になります。
それが画家だったり、作家だったり、歌手だったりと、単体アーティストなら
まだ救われる可能性もありますが、
俳優というのは、作家と監督と演出とプロデュースの意図を組んで表現するという
大変アーティスティックからほど遠い職人的技術をまずは求められるのです。

ここまで書くと・・・偏食家ではやっていけない職業だという事が分かってきますね。

私は、ニューヨーク時代、劇団時代、またプロの仕事として、好き嫌いは置いといて、
それこそありとあらゆるタイプの芝居に出演し(せざるを得ない状況に追い込まれ)
多くの事を経験し学びました。

そして、自分への戒めとして常に脳裏に置き続けた言葉が・・・

『技術を習得したいのなら、自分のセンスはひとまず置いておく』
コレ、SYMBION参加者はわかると思います。
よく私が皆に言う事で、私の数々の痛烈な経験から生み出された言葉です。

それこそ、私だって嫌いなタイプの芝居に出演してる時などは、嫌で嫌でしょうがないんです。
人間ですから・・・
でも(特にプロで仕事をする場合は)一旦仕事を受けたらどんなヘボい仕事でも

『文句は言わない。愚痴もたれない。至って冷静にその場においてのクオリティを上げる。』

が私のモットーです。

その為に私はどんな現場でも、自分のアンテナを張りまくり、

『ただじゃ転ばねーぞ。相手の土俵に上げられても、俺は負けねーぞ
(俺が負けないって事は、俺の役が生きて、監督の作品が成功に導かれる一助になるから)』

と、苦手な事も克服してきたのです。

自分の技術力に余る脚本や演出に出会う時程喜ばしい事はありません。
それこそ発想力、視点の拡がりを感じさせてくれます。

でも、逆にダメな脚本、演出、共演者との仕事も・・・
ダメであるが故に私の視点や発想力は拡がり、
それが今や演出家としても脚本家としも武器になっているところもあるのです。

先日、ある年配参加者の人に

『どうしたら俳優に必要な発想力って身につくんですかね?
 っていうか、視点ってどうやったら広がるんですかね?』

その時は
『経験がモノを言うから、焦らずにやりな』と答えたんですが・・・
トレーナーとして観念的な答えをしている自分に嫌悪し、そこから数日、
自分の頭の中でシコシコと、具体的な「発想力」と「視点の拡がり」の導き方を模索しておりました。
で、出た答えが

『そうだ!俺がやってきたように色んな戯曲演じさせて、時には苦手な事もやらせよう』

でした。

今までとの違いがここでやっと説明できます。
というか、もうわかりますね。

答えです。

<<古今東西の名作には、難攻不落の脚本も含まれる>>
  例:シェークスピアや、ドイツ表現主義戯曲、ブレヒトの教育劇、フランスのコメディ、
    果てはミュージカル レ・ミゼラブルの歌詞=戯曲!まで。

これ、現代演劇の基礎とされるロシアのシステムを学ぼうとする時には
シェークスピアや欧州の戯曲または日本の歌舞伎等は様式的なので
今までは外されがちだったんです。
(もちろん、ロシアのシステムでマクベスやハムレット等をリアルに描いた演出は
 過去に多々ありますが、あくまでも教育の一貫としてはあまり使われなかったという事です)
というか、朗々とした美しい詩で構築された素晴らしい戯曲を
現代の人間のようにリアリズムを持って演ずるには
世の中の演技術はまだついてきていなかった。

だから、現代社会における、リアルな人間像を描いた
いわゆる『リアリズム台本』が、演技教材としては適していたのです。

教育現場での古今東西の名作は今まででの方向性で言うなら
『ガラスの動物園』『欲望という名の電車』や
『楡の木陰の欲望』や『人形の家』『かもめ』または
『男女七人夏物語』に至るまで
幅は広いけれど、あくまでも生活時空間が想像しやすい
現代の人間像を描いたものでした。

でも、SYMBIONの俳優、またはSYMBIONにこれから関わるであろう俳優に
更なるグローバルスタンダードを伝達するには、
リアリズムありきの表現主義=コンテンポラリーリアリズムを伝える段階に来ているのです。
(ブロードウェイでは今、マクベスが現代劇のような演出で上演されています。
 Three penny operaをやった俳優さんがマクベスをやっています。
 確か、イギリスの俳優だったかな。)
  


ワークショップは学びの場です。
今までシンビアンでキャリアを積んだ俳優達も失敗を恐れず改めて取り組んで下さい。

これからは各シーズン毎に取り組む戯曲を発表した上で参加を募ります。

そのテーマに興味がある人は元より
手だなと感じる人や、興味のないなと思っちゃった人達こそ
是非参加してもらいたいのです。

それが、視点と発想力を身につける為の確実かつ唯一の道だと
私は経験上確信するからです。

更なる飛躍を目指して下さい。


2013年3月27日水曜日

Class on Blog 3 スポーツと演劇

ワールドカップ出場はまだ先にお預けになりましたね。
サッカー日本代表は2-1アウェイでヨルダンに負けました・・・・

試合中は、次に何が起こるか判らないので
『ハラハラ、ドキドキ』
毎度、毎度トイレにも立てない状態になります。

・・・でいつも思うこと

『こんなお芝居や映画創れたら最高だなぁ・・・』

人間、次に何が起こるか判らないと集中のボルテージは一挙に上がります。
「勝つのか」「負けるのか?」「引き分けか?」
「どうなるんだ!」「「後一分!」「まだ時間はある・・・」
最後の最後までハラハラドキドキ。
2時間の観客の集中力たるや・・・演劇、映画でこの集中力はなかなか創れない。

なぜ映画、演劇でサッカーのような興奮状態を作り出すのが難しいかと言えば、
1、勝敗が明確ではない
2、芝居や映画は予め筋書きが決まっている。


1、に関しては解決のしようがありませんので、2、に関して考えていきたいと思います。

改めて・・・

・芝居や映画はあらかじめストーリーが決まっている。
・出て来るキャラクターも役者が演じているので本物じゃないと観客も知っている。

だから、創り手が油断すると、観客はすぐにトイレにたちたくなったり、お尻が痛くなったりしてしまうのです。

逆に言えば、そんなフェイクだらけのジャンルの中で

『ハラハラ、ドキドキ』させ

次に何が起こるか観客を興奮させ、集中させる事が出来れば、
それは喜劇・悲劇、新作・古典に関わらず名作!
で、イイ クリエイション 演技 
だと私は思っています。

私の大事な審美眼の一つです。

つまり今日のサッカー試合だったら

『日本は何度も敵ゴールを脅かすが、最終的にはヨルダンが勝つ』

とドラマ筋書きがあっても

選手を演じる役者達の演技によって、トイレに立てなくさせくれればOK!

そして誰もトイレにたたなかったら、クリエイターまたは俳優として勝ち点1!
みたいな感じで、上記の
〝1、勝敗が明確ではない″
に関しては自分的な処理をしてみたり。

まぁ、総合芸術なので色んな要素がうまく溶け合わないと
『ハラハラ、ドキドキ』を創る事は難しいのですが

そこで、今日の
Class on Blog!
演技に関して私がSYMBION参加者に、よく言う言葉を紹介します。

『物語って、一つの大きな嘘でしょ、でもその大きな嘘をつく為には、
 演技の一瞬一瞬が本当じゃなければ、お客さんは
 「アッ!これもともと絵空事なんだ」ってすぐサメちゃうの
 逆に言うとね、「もともとフィクションでしょ」と思って油断していたお客さんを
 その気にさせ、胃が痛くなるほど集中させてたら、俳優の勝ち。
 それには、リラックスはしても、楽なところでやってちゃダメな訳ですよ』

この心構え、本当に大事なことなんです。

サッカーの選手は一瞬一瞬、本気で全身全霊。

筋書きのないドラマを生き感動を人に与える訳です。

筋書きある我々も負けないように
つまらんエゴは横に置いといて、全身全霊演技して、チームプレーやらないと、
スポーツ以上の感動を人に与えるのはノッケから無理です。
根がフェイクですから。

我が亡き父の生業であった『プロレス』は限りなくお芝居に近いスポーツです。
そして、フェイクをフェイクとして、その上で人々を鼓舞、感動させる為に
日々の鍛錬を欠かさないのがレスラーなんです。

私はレスラーじゃなくてもお芝居に関わる人間になったという意味で二世です。

『ジョー樋口Jr』ですので、フェイクの中の感動を追求します。







2013年3月25日月曜日

ヒーロー症候群 in U.S.A

先日、『ゴッド・ブレス・アメリカ』という映画のDVDを観ました。
ヒーローに憧れたおっさんと少女のおバカなサブカル映画かなと思いきや、意外や意外、アメリカ社会に対しての批判がふんだんに込められた痛切なものでした。

以下、ほんの少しストーリーを・・・

上司からの突然のクビの宣告。

『君はクビだ』

『冗談でしょ?何で!?』

『受付の子との関係は・・・?』

『普通に仲が良い程度で・・・1度食事に行きましたけど・・・』

『花を送ったろ?何で花なんて送った?』

『彼女が元気なさそうだったから。』

『住所はどこで調べた?』

『会社で。』

『違法だろ。で、彼女はセクハラを訴えてきた。』

ちょっとファット(おデブ)な受付嬢がおどおどしている姿。

こうして11年勤めた会社をあっけなくクビになった主人公である普通のおっさん。

ひどい頭痛に襲われ病院で診察すると・・・
悪性脳腫瘍、末期の癌でもう助かる見込みはないとわかる。

妻とは別れ、一人娘は妻と共に新しい父親とうまくやっている。

話す相手もなく、絶望の中、TVをつけ、ベッドに横たわる。

ひどい頭痛に辟易しながら、生きる気力をなくした彼は・・・

口中に、銃をねじこむ。

ぼんやりとする意識の中、彼の目と耳が捉えたのは

『黒人野郎が大統領だぜ!!』

『ホームレスに放火した若者が動画を投稿』

聞こえてきたのは・・・刺激的な話題で人々を煽るTV番組だった。

ひたすら煽り続けて、刺激を与え続けて、そうしていつの間にか
人への思いやりなど全くなくなってしまった番組制作側と視聴者達。

     この世界は いつの間に---

     こんなにも腐ってしまったのか---

続けて番組が始まる

『私はクロエ、可愛くて人気者の高校生。』

わがままし放題のアメリカ人高校生のドキュメント!
誕生日プレゼントが〝キャデラック″じゃなかった事を怒りまくって
父親にF◎◎KF◎◎K言いまくり。
同級生達がインタビューに答える。

『彼女は最高!金持ちで可愛い!!』

最高の彼女が父親に言う

『パパなんてクソよ!!』

父親が言う

『彼女を不愉快にしてしまったのは私の責任だ・・・』

      絶望していた彼が口から銃を出す---

      死ぬべきバカは・・・俺じゃない!!!!

F◎◎Kな現実におっさんがブチ切れた。

きれたらおっさん超すごい。

TVで親にファックファック言ってた女子高校生をまずは・・・バン!!

目撃者の女子高生(撃たれた女子の同級生)は、おじさんに『最高最高!』ついてくる。

ここで中年男と高校性のロードムービースタート。

映画館にて・・・〝私語しまくり″〝携帯で喋りまくり″な上に
おっさんに対してポップコーン投げてきたヤツらを・・・バン!!バン!バン!

人種差別主義者に・・・バン!!

勘違いセレブに・・・バン!

下卑たTVに出るヤツ、作るやつ・・・バン!バン!!

駐車マナーの悪いやつ・・・バン!!


      世の中本当にバカだらけ---
      もっとたくさん死ぬべき人間がいるはずだ---


おっさんと女子高生の旅は終わらない!

      みんなまとめてぶち殺せ!!

      世直しロードショー全米縦断!!


と言ったストーリーに仕上がってます。

映画の良し悪しはさておいて・・・

見終わった後、細君が一言

『なまはげ』

『ん?』

『いや、このおっさん、なまはげだね』

『あぁ、東北のね。あぁ、そうね。アメリカらしいね。自らなまはげ』

『そうそう。歴史浅いからなまはげとかの民間伝承とか少ないじゃない?
 だから市民的なヒーローを求める気持ちが強いと言うか・・・』

『ふんふん、ちょっとそこんとこ詳しく言ってみて』

 
『子供達に伝えるべき倫理、道徳がイギリスやスペインのものであってはならない以上、
 独立精神、開拓者精神でいくと自らが世直しヒーローになるしかないと言うか・・・雑だけどね。』

ふむふむ、いやいや、コレはとても面白いご意見。で今日のお題はコレです。

“開拓者精神に始まる市民的ヒーロー”

細君の言った事を私もニューヨークにいる時、何度も肌で感じておりました。
一番の極めつけは、当時花形だった
『スペースシャトル開発』1号機が無事に地球に帰還したあくる日の
NEWYORK POSTのドデカイ見出し。

        『俺たちはソ連の100年先を行ったぜ!』 

地下鉄のニューススタンドでこの新聞見た時

        『ダメだ、この国、絶対戦争するわ』と思いました。

歴史が浅い上に、独立戦争以前の西洋の歴史はルーツとして認めない。
だってせっかくそこから独立したんだから。
ヨーロッパなんてくそくらえ!
伝統?ファック!
俺らにあるのは進化だけだぜ!ってな若気の至りが未だに続く
若く、活気溢れ、そして若いゆえに神経症にかかっているアメリカ。

過去を抹消した以上、先に進むしかこの国には未来なんてものはない。
温故知新なんてものはまだまだ甘い!
そんな事考えてるより、刺激と邁進!

そうして、戦争してみたり、たくさん原発輸出してみたり、宇宙開発してみたり、
スパイたくさん養成したり・・・
とにかくあらゆるジャンルで世界のトップへの君臨を目論み続けている。

進み続けていないと、人種のるつぼのアメリカはまとまらないからでしょうね。

だから大統領や政治家はその瞬間、瞬間、ヒーローでなくてはならないんです。

だってアメリカ国民の多くは(勿論、アメリカにも他国同様=日本同様マイノリティだけど、
賢者達はたくさんいますよ)自分のストレスを発散してくれるモデルタイプのヒーローを
求めているハングリーモンスターだから。

『お腹減った、お腹減った。次は何食べればいいの?』

『えっと・・・じゃぁ、戦争食べる?』

『おいしぃ~!!・・・あれ、お腹痛くなってきた・・・痛い時は何食べればいいの・・?』

『えっと・・・じゃぁ、黒人大統領とか食べる?』

『黒いものって身体に良いんだよね~!!苦っ!!これ焦げてない?』

ってな具合にハングリーモンスターはいつまでたっても満腹になりません。

話しが大きくなって長くなってきました。
ここらでひとまとめ。。。

アメリカは歴史や伝統のある国に比べ、まだまだ、若いこれからの国です。

国も人と同じでそれだけ年を重ねてくると、
その歴史の中に人々の理想となるような偉大な人間を何人も排出していきます。
日本で言えば戦国武将とか、幕末の人達とか、実在の人は元より、
各民族の神話や民話の中にまでアーキータイプは存在しています。
そして現代の私達は、自分の生活、悩みに応じて、英雄やヒーローをチョイスして
ハングリーと感じた時に好きな物を箸でつまべばイイ。

がしかし、アメリカの様に歳が若いと、まだまだ多くの人にとってフォークでつまみやすい
英雄やヒーローが足りない。
もしくは、あまりに最近の人物なので、ゴシップネタで地に落とされてしまう。
そうすると、遠い存在でなきゃいけないはずの英雄やヒーローに
共感など出来なくなってしまう=便利で美味しい食材ではなくなってしまうのです。

だから、次から次へとヒーローを作らないと、国民の四割が肥満の国のお腹は満たされず、
挙句の果てはヒーローではなく、普通の市民が、苦し紛れにヒーローにならざるを得ない
状況に陥ってしまう・・・

思えば名作『タクシードライバー』『狼よさらば』もこの主題でした。
きっとアメリカの人達の大きなテーマの一つなんでしょうね。

・・・おさらい・・・

今回の映画、ただのヒーローものではなく、
自分より死ぬべき人間がいて、誰も手をくださずにいるから
世の中どんどんひどくなる・・・と考えたおっさんが、一人撃ったら
世直し運動に歯止めがきかなくなったというお話。

アメリカ国家的神経症は、ヒーローを求めるのではなく、
市民からの病んだヒーローを排出してしまうのだ・・・

という社会風刺のサブカル映画でした。

『俺達に明日はない』
『バッファロー66』
様々な映画の背景が見え隠れしつつ、台詞は少々観念的でしたが・・・、

演者側と言えど、TVに関わってきた人間として、
思うところは多々あったりと、色々な意味で楽しめた映画でした。

ただ・・・そんなにおすすめという訳ではありません。









2013年3月23日土曜日

SYMBIONという小さな試み

2013.3.20.  SYMBIONのOPENHOUSEが開催されました。
多くの人達が参加してくれて、とても有意義なOPENHOUSEでした。

OPENHOUSEには内田ことッチーや、
4月3日の本番に向けて、制作・台本・出演をこなす岩瀬ことアッコをはじめとする
創成期の受講生達も忙しい中参加し、OPENHOUSE後の懇談会では
これからSYMBIONに参加する人達と一緒に楽しそうに歓談していました。

彼らの背中を観ながらSYMBIONの去年の活動が脳裏に甦りました。

9月、SYMBION制作の映画では中堅どころの那奈代がクオリティの高い演技を披露し、
11月、70歳を超えた八重子さんコト八重ちゃんはハリウッド映画『ウルヴァリン』で
     ヒュージャックマンと共演し、
12月、公演でそれまでどちらかと言えば地味な存在だった匡恵・・・ことマー坊が
     堂々と主役を果たし(!本当によく伸びてきたと思います)
今回のOPENHOUSEではいつも裏方をやってくれている広之が
        沙耶花と組んでシーンを披露し・・・ 
外部からは、天才ホテルの主催であり幾つもの事務所で講師をしている小林篤君や
        映画の蛯原やすひろ監督など・・・
        様々な現場で活躍するアーティスト達が忙しい中を塗って参加し
        今後更なる発展を試みようとしている・・・

                      『うんうん。』

      今年もまた何か新しい才能や動きが出て来る予感・・・

とまぁ、こんな感じでSYMBIONは進化発展している訳です。


そして、今回のOPENHOUSEにおいてとても『いなぁ・・・』と思える事がもう2つ。

        1、 世間一般的には上級レベルと言える俳優術を持ったッチー達と
               まだまだ演技のエの字も判らない新人達が
                『演技向上』の名の元、った事。
          2、リウッド映画『ウルヴァリン』でヒュージャックマンと共演した
                70歳を超えた重ちゃんが
              3度目のMOVIEコースに参戦する事!

               頭の下がるストイックさと探究心です。
         

外では、有名なプロの俳優達も仕事のない時には、
技を磨くためにワークショップに通い続けます。
それは『演技力』が萎えれば試合=本番(またはオーディション)には
勝てないと知ってるからです。

引き換え、本では有名になったらスゴロクの様に一丁上がりで、多くの人が自分の技術向上を考えない、または考えてもワークショップなんか通わない。
それは忙しいし、どこか倒だと感じるのでしょう。
彼らが忙しさにかまけてトレーニングを怠る原因は日本が芸術をおろそかにする国風だから。

NYで『60歳、俳優でウェイター』と言ったら
『すごいね!次は何に出るの?』と言うように、アーティストへのリスペクトがある。
それは、アートが社会に必要なものだという、
アーティストに対しての一つの敬意から来るものでしょう。

本で『60歳、俳優でホテルの配膳』と言ったら、
『・・・すごいですね・・・TVとかにも・・・出てるんですか・・・(いや、出てたらここにいないよな・・・)』
と言うように、アーティストへの哀れみが顕になる。
それは、アートは衣食住に入らず、社会に不必要なものだという
アーティストに対しての一つの差別から来るものでしょう。

意のない日本は、アートまでが資本の影響を多大に受けてしまっている。
芸術に冷たく、資本に優しい国だから、俳優も資本優先で、トレーニングにお金など
『もう払う立場ではない』とどこかで感じていってしまう。
これが国風であり、文化レベルの低さ、または極東JAPANのおおらかさなのでしょう。

SYMBIONでは若手も中堅も参もみんな自分の野心は野心として
まず、『演技』を見つめ続けています。
そして、それはこれからも続くでしょう。

 NY、ネイバーフットプレイハウスのイズナーにあるインタビューアが聞きました。
『俳優になりたいと言ってくる野心だらけのモンスター達を
 どうやって、真にトレインされた俳優にしていくのですか?』

この答えは、SYMBIONのワークショップ(または、優れた演劇書物の中)にあります。

演技の良し悪しより、誰がどれだけ有名か無名かで動く能界。
(文句を言ってるのではありませんよ、ショービジネスはそういうものです)

変わり種の私が俳優として多大なお仕事頂けた事、
また今でも頂けてる事をはいつも感謝して止まないのですが、
私はTVや映画や舞台で役を務めもそれだけじゃ未だに満足が出来ません。

『何か足りないなぁ・・・何だ?何か他に・・・自分に出来る事って何よ?』


と自問自答の末、11年前SYMBIONを発想して本当良かったと思います。

最初は私の頭の中の小さなアイデアだったSYMBIONが、
今や多くの人が関わって現実の存在として活動を続けています。

SYMBIONは『演技向上の為の集いであり、俳優の長を促す活動体』です。

金銭的には自分の俳優部分のギャラを横流しして支えているようなび舎だけれど
続けられる限りは続けていくべきだなと改めて感じました。

 
これからも・・・DO THE RIGHT THING WHAT I BELIEVE!!





2013年3月20日水曜日

Class on Blog 2    発想力って相対的

役者達は総じて自分の演技というモノに真面目に取り組みます。
でも、真面目に取り組めばそれでイイかというと、そうでもないのが演技の難しいところです。

私がよくトレーナーとして口にする言葉の一つ

『芝居はね、英語で言うとPLAYって言うの、PLAY、つまりびなんだからさぁ、そんなに深刻にならずに楽にやりなさいよ』

こういう事をトレーナーとして、または時に演出家として役者に言う時は、殆どの場合、その役者が周りが見えなくなるほど、演技に入り込んでいて、自分の作り出した固定観念や役の感情やキャラから抜け出せなくなっている時です。

役者はよっこらしょ!よっこらしょ!と自分の役を掘り下げます。掘り下げるのはイイのですが、
最後は自分の掘った穴にはまり込んで、地獄のように出れなくなってしまうのです。

当然100%、演技はうまく機能しません。

では、どうすればイイのか?で、今日の発想力。

『あなたは誰のに演技するんですか?』という質問を自分にしてみると良いのです。

答えはもうわかりますね『お様』
時間さいて、お金使って観に来てくれた人達の為に演じるのです。

『自分がイイ演技をした』とか『役の気持ちになって感情が溢れた』とか自己中な事にばかりとらわれていると、ポイントがずれて蟻地獄にズルズル。
感情が溢れるのはお客様でいいんですから。

私はそういう人を役者ではなく『演技オタク』だと思います。

そもそも、想力というのは自分や自分の置かれてる状況を客観視する事から生まれる、
思考と感覚のジャンプです。

アインシュタインが相対性理論を発見した瞬間。
悩み続けた氏は橋の上に立ち川を眺めていた。
川が流れているのか、橋の上に立っている自分が動いているのか判らない感覚になり、

『これだッ!世の中、全て対的なんだッ!』となった訳で、

もし氏が黒板の数式とばかり睨めっこして

『う〜ん、コレはイイ計算式だ』
『ここまで解ければ、大分イイ線だ』

なんてやっていたら、今だに相対性理論は発見されてないでしょう。

役者はせっかくお客様という、観的な存在がいるのですから、その他者にどうすれば伝わるかを
最優先でイメージし、現出来なければイケません。
さすれば色々な発想が生まれてくるはず。生まれて来ないのは勉強不足ですね、多分。
(お客に媚び売れと言ってる訳ではないので、くれぐれも誤解なきよう)

しかし、私、幾らお客様に褒められても、今まで演技で一度も自己した事がありません。
それはそれで哀しいチですが・・・

2013年3月19日火曜日

Hey Man,Do the right thing. Part 2  『・・・うん?』

よくTVで福島の復興に関して、文化人や有名人達が
ああでもない、こうでもないと議論しています。

今日もふとTVをつけると〝島の復興″ついての現場の思いが語られていました。

意見は様々です。
「過剰な同情は差別に感じる。」
「復興の為には、観光に来てもらって、お金をおとしてもらう事も必要・・・」
「故郷を捨てた人間と、残っている人間。どちらもに辛い思いがあって、
復興支援の歌とか聞くと、故郷を捨てた事を責められてる感じがするから
やめてほしい・・・」等・・・

悲しく、そして頭が下がっていきます・・・
福島の人達のこういった思いへの回答は一つも出る事なく、番組はファジィに終了。

私はこの類の番組を観るといつも

『・・・うん
という異和感を感じます。

というのは・・・

福島の人達の為に

〝一番話し合わなくちゃいけない事″を、

誰も口にしていないからです。

『復興も切ですが・・・ところで原発、本当にもう丈夫なんですかね?』

って。

私の観た限り、TVでは誰もそれを言わない。
話題に乗ってもスルー

震災・津波に遭われ、その上放射能の被害にまで遭われた方々は本当にお気の毒です。
その悲劇から立ち直ろうと力を合わせていらっしゃる姿にも頭が下がります。
だからこそ、国や公の機関が福島の人たちに一番明らかにしなきゃいけないのは、
『事故後の原発が本当にもう安全か否か』という問題です。

だって、まだ、危険ならば福島の人達の復興に向けての努力が再び破壊される事になりますから。
取り返しのつかない状況がきてから、「想定」はもう通用しません。

『福島の復興』を特集した番組が終わり、ニュースが始まりました。
(以下、ネットニュースの抜粋です。)

   『東京電力福島第1原発で18日夜発生した停電は、19日未明になっても
   復旧のメドが立たず、現場は対応に追われた。深刻な事態に発展するには
   数日間の余裕があり、代替設備による冷却も可能なため、直ちに放射性物質が
   放出されるような事態には至らないと考えられる。しかし、同原発では昨年6月にも
   4号機の燃料貯蔵プールで一時冷却が停止、水温が約43度まで上昇するトラブルが
   起きている。同原発は今も不安定で、事故収束にはほど遠い状況にあることが改めて
   示された』
  (msn 産経ニュース 事件欄 福島第1原発停電 代替設備で冷却可能も・・・
   ・・・ほど遠い「事故収束」2013.3.19 01:26  より抜粋

だって。

ホラね。多くの人が感じているある種の異和感って当たらずとも遠からずじゃないですか?
(断るまでもありませんが、私はこれ以上事態が悪化しない事を日々祈っている一人です)

それにしてもこのニュースの
『深刻な事態に発展するには数日間の裕があり』ってどうです?

大体、今度の事故は地震や津波が来ても大丈夫だ制御可能だって言っていた原発が
全くの制御不能になって、多くの人達の命を未だに危険にさらしているっていうのに
まだ『数日間の余裕』などと言っている。

このままだと今後、この人災が悪化しても、科学倫理的には東電の「想定外」って言われるんじゃないですかね?
そもそも、人類を滅ぼす可能性のある放射能を扱う企業に「想定外」が許されるわけがないんですけどね

ここからいきなり落語の長屋のくまさん風に言わせてもらいます。

「 おうおうっ、俺に言わせればだなっ 『余裕』ってな言葉はなぁ、制御可能で事態を収束出来る時にのみ使うんでぇっ! 『同原発は今も不安定で、事故収束にはほど遠い状況にある』ってな時に使える言葉じゃねぇーんだ、わかってんのかッ!このすっとこどっこいッ! 」

って何も出来ないオジさんの私はTVに向かって怒りをあらわにしてました。

HEY MAN!何とか出来る人になっていこうとしてるおっさん達で 
 DO THE RIGHT THING!』

2013年3月18日月曜日

Class on Blog 1 『演技は創造(creation)か?ドキュメンタリーか?』

私はトレーナーとしてレクチャーをする時必ず
『演技って何ですか?』
っていう質問を参加者の人達に問いかけています。

別に明快な正しい答えを求めている訳ではないのですが、
それぞれの人の『演技』に対しての捉え方を聞き、私が認識すると共に、
俳優自身に頭の中を整理してもらう為です。

レクチャー始めて十数年、様々な答えがありました。
「役になりきる事」とか
「自分を表現する事」とか
「観ている人に勇気を与えるもの」とか本当に色々。

で、まぁ、最近一番多いのがコレ。

『自然に演じる事』

私『じゃあ、どうしたら自然に演技出来ると思う?』と問うとみんな

『?????』

これは仕方ありませんね、それが判らないから学びに来ているわけですから。

では、お答えしましょう。

今の演技のグローバル・スタンダードはコンテンポラリー・リアリズムと言って
役者が『役を演じる』のではなく
『役を生きる』という演技法です。

『自然な演技』とはつまり『役を生きる』演技のやり方を日本流に言い直したものです。

答えは分かりましたね。
『自然な演技』を習得するには、『役を生きる』為の演技術を学べば良いのです。

『じゃあ、そのやり方説明してくれ?!』

ハイ、説明はいくらでも出来ますが、習得するには心と身体を使って稽古するしかないんですね。
演技はお稽古事ですから。

で、まぁ・・・
ここでは、説明というより、想像のヒントになるエピソードを以下にたしなめます。

先日、受賞式のあった米国アカデミー賞の主演男優・女優賞などはこの様な演技(役を生きる)のクオリティに対して授与されるモノで、役者が『演じてます』風な演技は評価の対象となりません。

だから伝記モノは強いです。
メリルの『サッチャー』とか
ダニエルの『リンカーン』とかね。

演技派の役者が実在の人物を生き生きと演じる(生きる)と受賞の可能性はグンと跳ね上がり
いわゆるアカデミー賞狙いの作品ということになる訳です。

はい、大きなヒントとなる一節だったでしょう。
以下は私の小さなボヤき。

演技派の役者が実在の人物を生き生きと演じる…そしてアカデミー賞…
『ちょっとコレ』って思うんです・・・

そりぁ、実際に実在した人物演じるのは大変ですよ。

観る人が『あっ、こんなのあの人じゃない』と思ったらアウトなので
繊細なリサーチと演技力が要求されます。

でも実在の人物を演じてる演技が=『役を生きる』演技の最高峰的ノリは私、個人的に・・・
あまり好きになれないんです。

私がニューヨークにいた時にデ・ニーロが20キロ太って
『レイジング・ブル』という映画で実在のボクサーの役を演じてアカデミー賞を受賞しました。
その時、ある新聞では
『演技は創造(creation)か?ドキュメンタリーか?』
っていう書評が出され話題になりました。
(演技芸術は想像力による創造ではなく、写実オンリーのドキュメントの模倣か?という問題提起)

勿論、デ・ニーロ先生の鬼気迫る役づくりには脱帽で、同じ役者として敬意を評します。
が・・・なんだかなぁ・・・

アカデミーの審査員の方々もねぇ…もう少し、荒唐無稽な作品で有り得ないキャラに命を吹き込んでる役者の人達にも目を向けて上げてもいいじゃないのって思うことあります。

私がファンのSF映画のキャラなんて、レースにも入れて貰えない駄馬扱いだもん。
可哀想だよ。
実在の人物ならリサーチも出来るけど、フォースを使えるルークなんてどうやってリサーチすんの?

ダース・ベイダー?何ソレ?新しい鉛筆?えぇっ、この人、どんな人生…?どんな癖あるの?
 っていうかコレ、人なの?』(ルーク役・マイクハミル談 嘘)
『ヨーダ?オビ・ワン?エッ?のこと?えっ、あぁ・・師匠的存在って事?何の先生??』(ヨーダの声担当フランク・オズ談 嘘)

ってな感じで手がかりどころじゃ無い中必死で役作りして、キャラクターに説得性持たせた役者の技術も評価してしかるべきだと私は思います。

私も仮面ライダーアナザー・アギトやった時、誠実に、そりゃもう誠実に
木野薫というキャラクターを生きる様に心がけましたよ。
あたかも木野が実在であるかの様にね。

心の中では変身してました、毎回ね。

『役を生きる』為の一つのヒント=自己暗示能力。

皆さんもやってみて下さい。

『フンッ・・変身!』


       
      

2013年3月17日日曜日

「俳優って、本当変な仕事」と私はイメージしています。

最近、私は細君の勧めで、哲学者にして武道家(もうこの響きだけで私には尊敬に値します)内田樹先生の本を愛読しています。

細君が私に
『あなたはこの人と同じ考え方をしてるから、是非読んでみたら』と勧めてくれただけあって、
ページをめくる度に
『ああっ、そう俺こういう事考えてたの』とか
『そうそう、コレコレ、これが言いたかったのよ、俺』と読書の楽しみを味わっているわけですが、
今日はその中のちょっとした部分を紹介します(興味を持ったら是非読んでみてね、内田先生宣伝しましたよって売れすぎてブログまで本になってるような人だから宣伝なんて不要ですね。)

『人間、イメージ出来ないものは具現化出来ない』という一節。

・・・未来像等をイメージした時、苦痛を感じる未来像になってしまうものは具現化できない、というか回避するべきという事。

例えば。
自分が政治家になったとする。
選挙カーに乗って、声張り上げて、選挙事務所でだるまに目を入れている自分がイメージできる。
でもこれは内田先生にとっては苦痛。
という訳で政治家にはならないだろう、というか、政治家になることは回避するだろう、と。

現場の空き時間でこのくだりを読んでいたら、
「まったく最近のエキストラは・・・」とボヤく声。

耳に入ってくる内容は
「エキストラが『今から現場入り。踊るOOOO線NOW』とか書いちゃってさ、エキストラがいっぱしの俳優気取りだよ、全く・・・」

ふんふん。

「大体さぁ、映画も舞台も観ない癖に俳優になりたいですって奴多すぎねぇか?」
「台本も読んだ事ないでしょ、最近の子」
「本離れしてるからな」

ふんふん。

ちょっと反論です。

今、俳優になろうとしている若き卵はやり方がまだ判らないにしても、映画は大分見ている。ただ、自分の好みのジャンルに特化しているのが特徴であって、『あれ観た?』『見た見た、面白かった』等の映画全般に関わる会話は殆ど成り立たない。レミゼのアンハサウェイが演技が凄くて彼女の映画は全て観たとか、気になるものは網羅するマニアックな魂を昨今の若手は持っているというか、これが現代の特徴らしい。(これも、内田先生の受け売りね)
だから、彼らは彼ら独自の勉強をしています。
さらに言えば、30代アッパーの舞台俳優達なんて、技術を磨く努力は半端なくし続けている。でもコネがなくて現場に殆ど介入できない。
さらに言うと、今仕事をゲットしている俳優の殆どが、技術を磨く努力よりコネをゲットする努力をし続けてきている。そして今もいかにコネクションを失わないようにするかを日々研究し続けているからこそ、あの地位を守れるのです。

俳優達はそれぞれ努力している。
ただ、売れたいのに技術ばかり磨いたり、
実力派と言われたいのに、やはりコネ育成に時間をさいたり、
まずは業界の全貌を俯瞰するべきなのに、自分の好きなジャンルだけを見たりと、
自分の努力の方向をイメージ出来てないのである。

さて、ここで内田先生の『人間、イメージ出来ないものは具現化出来ない』

の話に戻ります。
今、役者になりたいと思っている人達は本当に役者を仕事とする事を正しくイメージ出来ているんだろうか?という疑問です。

1.30代で探究心を持って技術向上を目指しながら、いい演技さえしていれば世の中認めてくれると考えている俳優の皆さん←日本の芸能界は多くの場合、人間関係で動いてるし、舞台、映画・TVはチームワークで一人相撲ではありません。そういう意味では、「チャ~」と言う芸人が言った「芸、磨くより、先輩と飲み行く時間やで」というのはある種正しいです。

2.私には特別な才能があると考えて何の努力もせずに好きなジャンルの映画だけを観ている俳優さん達←どうぞ、全体の中にいる自分をイメージできるよう、まずは俳優という仕事の全体像の把握と、その中で改めて自分はどう努力するのかを考えてみてください。世の中にはアート系の映画もあればエンターテイメント系の映画もあり、それはニーズの問題で、あなたが好きなモノがベストなものではありません。


人は自分のなりたいモノに関しては概して、プラスのイメージしか持ちませんが、どんな仕事でもプラスがあればマイナスの部分もあるわけで、ましてチームワークを要求される舞台や映画・TVの仕事においてはマイナスの要因が殆どで、自分にとってプラスの事なんて10の内に一つもあればめっけもんです。

そのマイナス部分の現実もしっかりとイメージして、しかも苦痛でなければ役者を続ければいいと思います。

『こんなはずじゃなかった』とか
『事務所が悪い』とか
『芸能界は汚い』とかボヤかずに済むように、
騙される事のないように、きちんとマイナス部分もイメージしましょう。

マイナスイメージを想像できずに「ボヤき相談」を私にしてきた場合、
『ノッケからキミの想像力が足りないの、キミがやってた事は役者になる為の努力じゃなくて、自分 
 のあこがれた役者ごっこをやってただけ、子供のおママゴトと一緒なの、判った?』

と、言ってあげます。
よく居る『俳優チック』な人や『女優チック』な人、少しぐらい演技に関わったぐらいで役者ごっごをしているような人は必ずボヤくようになりますから。

ちなみに私は人から『役者さんって感じですよね』って言われるとゾッとします。だからなるべく仕事以外は演技の事は話さないし、今はこんな仕事をしてるなんて人にも言いません(よっぽど作品のクオリティが良ければ別ですが)大体プロの役者ってそんなもんですよ、自慢したがり以外は。

さて、今日は大分長くなりましたので、ここらでもう一度『まとめ』です。

1、コネの為にヘコヘコ気ぃ使って飲み会行って、監督の太鼓もちつつ、監督の映画にキャストとして出演している自分を想像して、それが苦痛だったらそのやり方は回避。

2、技術を磨く為に素人がたくさんのワークショップやレッスンに参加したり、個人指導者を設けたりする自分を想像して、それが苦痛だったら実力派になるというやり方は回避。

3、自分が好きなアニメ以外のアクション、サブカル、ミュージカル、文学、古典作品を観ながら、今後の自分の演技等を研究している自分を想像して、それが苦痛だったら俳優になるという事も回避。

要するに、無理は続かないって事です。
楽にいきましょう。
諦めた頃、仕事ってきたりするもんですよ。

俳優って、本当変な仕事」と私はイメージしています。


2013年3月16日土曜日

♪Bye-Bye Life

我が家はあまりテレビを観ません。観るものと言えばCATVでナショナル・ジオグラフィック、ディスカバリーチャンネル、アニマル・プランネットといったドキュメンタリー番組が主です。
それらの番組のCFにはテレビ・ショッピング系の商品コマーシャルや自動車保険(SYMBIONのトレーナーの一人である倉持も出演しています)、某都市型銀行の宣伝などが流れています。
その中の一つにとても面白く、斬新または現代的なローンが存在するのでご紹介します。

1、55歳からのお客様限定
2、毎月のお支払いは使った分のお利息のみ
3、ご融資は一生。ご自宅を担保に元本の返済はご契約者様がおくなりになってから。

『・・・ふんふん・・・エッ?・・
 コレって・・・
 死んだら家持ってかれるって事?』

まぁ・・・簡単に言えば、自分の持ち家を担保にお金を借りて、生きてるうちは利息だけ返済して、死んだら家で借入金の全額を返済するというシステムという事です。私、驚嘆。鳩が豆鉄砲。

そのCFの中では老夫婦が

「年金だけじゃ足りないので、助かりますね」とか

「私は海外旅行が好きなので、これで思う存分楽しめます」とか

もうシワのかなり目立つお顔でニコニコ笑って話していらっしゃる。

『ねぇねぇ、大丈夫ですか?死んだら家取られるんですよ。
 あなたが苦労して住宅ローンを払って購入した思い入れのある家も土地も全部、
 結局お金を返し続けた銀行のモノになるんですよ。
 銀行はお金貸すだけで、利息は入るし、土地・家屋も手に入って、
 坊主丸儲けですよ、いいんですか?』

と、ご注進申し上げたくなるのです。

まぁ、人生の選択は人それぞれなので

「家や財産なんか残さない」
「俺の築いたものは俺一代で終わりだ」

でも何でも勿論いいんですが・・・
詐欺ではないものの銀行もあの手この手でよく考えるモノだと思いますね、本当に。

もし私がこのCFディレクターを任されたら・・・

title『Good Bye Life』

  登場する老夫婦の衣装は全員、三途の川を渡る時の白装束。
  額には三角巾。
  メイクは当然青白く、ちょいと伏し目がち。
  三途の川の向こう側にいる老夫婦にインタビューが始まる。

老夫『OOローンにして本当に良かった。人生最後まで楽しめました。えっ?家?家なんて要りませ  
    んよ。家が必要なのは生きてる間だけですからね、なぁ、おまえ』

老婦『そうですね』

  と恨めしそうにニヤつく老夫婦。
  カメラが遠ざかり、老夫婦の家が取り壊される画。

・・・ってな演出にしますが・・・

それじゃお客さん逃げるか。

元気そうにニコニコしてないとね、

♪Bye-Bye Life, Bye-Bye happiness, Hello Lonliness ,
I think I'm gonna die・・・I think you gonna・・・

『Hey,Man, Do the right thing!!』

2013年3月15日金曜日

 映画『エクスペンダブル2』の凄い所は、80年代のアクションスターが還暦超えても昔と同じ事をやっている!!という事

今日、久しぶりに母の家を訪ね、愛猫の爪など切りながら、スターローンを始めとする、シュワちゃん、ブルースちゃん、その他80年代のハリウッド・アクションスターそろい踏みの『エクスペンダブル2』を観る。実は母はこの手のアクション映画の大ファンなのです。(母の一番のご贔屓はもう他界した、故チャールズ・ブロンソン、あのじゃがいもの様な顔がいいらしい)

まぁ、ストーリーはスターローンさんお決まりの、ちょっとおトイレに立っても全然支障のない、単純明快、勧善懲悪、小学生でもわかりますってモノでしたが、この作品の凄い所は、昔若い肉体を誇っていた野郎どもが勢揃いして、まだ昔と同じ事をやっている点です。

サッカーでもありますよね、チャリティでOBが集まった試合のようなモノ。その試合でまだ現役時代と同じ様にパス出して、シュート決めてるけど、顔や身体、身体能力と全てが昔と微妙に違うのでちょっと一種独特の『哀しさ』が漂う感じ・・・

まぁ、普通人ではなく皆さんハリウッド・スターなので、それでもよくキープしてますねって感じなのですが、何せ皆さん『問答無用のスーパーマン』を演じてた方々ですから、現役ON・TIMEで見てる人間にはちょっと淋しい感じがしました。

それに比べてって(比べる必要もないけど)クリント・イーストウッドさんは賢いですね。ヒーロー・フィギュアをうまく老いというシチュエーションに取り入れて『グラン・トリノ』とかやっちゃうから

一番、ショックだったのはシュワちゃんかな、もう何か生気のなくなったガタイのいい農場のオジさんって感じで母にそれを言うと

『シュワちゃんは家政婦浮気して、隠し子いて、奥さんに逃げられて、人生ボロボロなんだ、しか  
 もその家政婦は太ったオバさんで、なんてことない人なんだよ。もっとキレイな人なら、しょうがな 
 いなって思うけどさ、あたし、だからシュワちゃん嫌いになっちゃたよ』

だそうで、イヤはや、つくづく、スターがファンをつなぎ止めておくのは大変な作業だなと思い、まぁ、人気女優さんがよくシワ伸ばしたりするのも判らんではないかなと思いました。

シュワちゃん、クリントと同じように知事にもなったんだから今度は大統領で You'll be back!!

2013年3月14日木曜日

『Hey,man』~映画『アルゴ』をめぐるドラマ

アカデミー賞作品賞を受賞したアルゴ』を観ました。
素晴らしい作品でしたので皆さんも観てみて下さい。

物語の概略を少しだけ説明・・・
1979年、イラン革命真っ最中にイスラム過激派グループがテヘランのアメリカ大使館を占拠し、52人のアメリカ人を人質にとった。しかし占拠直前に6人の外交官は大使館から脱出、カナダ大使館私邸に避難。この6人の逃亡が過激派グループにばれれば、公開処刑は免れない。そこでCIAの工作員がたった一人で救出に向かった・・・というアメリカンヒーロー映画のようなフィクションようなノンフィクションを題材にしたドキュメントアクションドラマ。

完成度がとにかくものすごい。
イランの方がご覧になったら憤り甚だしい映画だとは思いますが、アクション活劇として観たら、最高のエンターテインメントです。
映画の背景に思想、観念はなく、ただ、人命救助を考えた一人の人間とそこにまつわる人々の勇気の美しさが最高の描かれ方をしています。
ドラマのある活劇!映画はこうでないと!!

話しはずれますが、、1979年、皆さんは何をしていましたか?
私は・・・ちょうどニューヨークのネイバーフッドプレイハウスに通っていた頃です。
人種のるつぼであるニューヨークのクラスは、やはり・・・人種のるつぼ。
この手の事件が起きると肩身の狭い思いをするのはアメリカ国籍以外の人種。

数日前より、学校のラウンジでは、血気盛んな若いアメリカ人達が
『イランが攻めてきたら俺は絶対に戦うぞッ!』とか
『誰にも俺の国や家族を踏みにじらせたりしない』などという
危険なナショナリズムとヒロイズムの空気が立ち込めていました。(アメリカの人達は好きなのよね、そういうの。さらに役者達だから思い込み激しくて、さらに過激・・・)

以下、ネイバーフッドでクラスが始まるのを待っている私に起った小さなドラマです・・・

クラスメイトでクリント・イーストウッド似のアメリカ人 ゛ブルース” が
その長身を折りたたみながら、私の横に座り


B『オイ、お前、人質事件しってるか?(Hey,Man, Do you know Iran hostage crisis?)』
私『知ってるよ・・・・(I know)』

  クラス中が私とブルースの会話に注目。

B『日本はよぉ、イランが俺の国に売るはずだった石油、横取りして買いやがったぜ。お前、それ知
  ってるか?』    
  
私『・・・・・・(うっ、ヤバイ)』
B『・・・パール・ハーバー(真珠湾攻撃)を忘れるな(Remember the Pearl Harbor)』
私『・・・・・・』

  このまま引き下がったら、こいつにナメられる。
  イヤ、それどころじゃない一方的にアメリカは世界の正義だという単純な論法を受け入れ、
  日本が悪者扱いされても黙ってやり過ごす事になる。
  それに大体、戦争というモノには正義も悪もないだろう・・・
  上の奴らの思惑に乗せられて泣くのはいつも民衆なんだからさぁ・・・
  などと僅か数秒間の間に色んな思考が二十そこそこの私の頭の中を駆け巡り
  私の口から思わず出てきた言葉が・・・

私『おまえらも広島の原子爆弾忘れるなよ(Remember the Atomic Bomb in Hiroshima) ・・・』
B『・・・・・・・・』

  この後の間はかなり長かったように記憶。
  突然ブルースがにやりと笑い出し・・・

B『お前も言うなぁ(Hey,Man)』

  と彼の大きな拳を私の拳に合わせて、一件落着。

以後、ブルースは若い異邦人の私の面倒をよくみてくれるかけがえのないニューヨークのビック・ブラザーになりました。
国と国との闘争心もこんな風に片付いたらイイのにと思いますが、そう簡単には行きませんね色々と利権が絡むから。大人って、本当に・・・Hey,Man

2013年3月12日火曜日

ゴジラ

久しぶりにとうか、以前いつ観たかも憶えていない。1954年製作の『ゴジラ』をDVDで再見しました。ヒューマン・ドラマとしての要素が濃く、当時の水爆実験を始めとする、科学技術の誤った使い方に対してのアンチ・テーゼも随所に散りばめられており、怪獣映画というより社会派の映画を観ている様な感がありました。

今は、『怪獣映画は怪獣暴れりゃいいじゃん』とか『ヒーロー物はヒーローが格好よきゃいいじゃん』って感じで、ドラマは添え物的になってますが、『ゴジラ』は骨太で重厚なドラマでした。

勿論、特撮はCG技術が発達し、今から見るとちゃっちい所が多いのですが、どっちが怖いかと言ったら昔のゴジラの方が怖いですね。それはドラマを怪獣の添え物にするのか、表現したい事の為に怪獣というファクターを使うのかの違いなような気がします。

昔のゴジラは知的な大人の映画でした。(しかし、何で急に『ゴジラ』を観たくなったんだろう??あっ、3月11日だからか・・・)

役者の品格

千秋楽を迎えた『見上げてごらん・・・』の若手俳優達は、今日などは『祭りの後』の放心状態でいる事でしょう。自分の演技の未熟さに涙し、落ち込み、追い詰められ、それでも舞台の上で全力で演技をしている彼らの姿は美しかったと思います。

役者は『品格』がないとダメだとよく言われます。では、品格ってなんだろう?と考えた時。私が思うに、それはクリエイションに対しての真摯な姿勢だと思います。

役者もプロアマ問わず、キャリアを重ねてくると、心が緩み、初心を忘れます。
まだ経験の浅い時にはセリフを誰よりも早く憶えて稽古に臨み、一行のセリフを色々工夫して演技し、演出家に『そんなにセリフいじくり回さなくてもイイんだよッ!バカッ!』と言われては落ち込み、それでもめげずにまたひと捻りして・・・・とにかく『演じる』という事に対して全身全霊でぶつかっていくのです。

それが、時が経ち自分なりの演技の仕方や、稽古の仕方が判ってくると、駆け出しの頃の真摯な姿勢は失われ『こんな感じでいいじゃない』という狭い自分の想定内の演技や『この現場ではこんなもんでいいかなぁ』という様な人間関係の中での居方しかできなくなり。
その役者の『品格』は失われてゆきます。

私が尊敬する役者諸先輩は全員、歳を重ねても演技に対しての真摯な姿勢を失っていません。ベテランのテクニックと新人の苦悩が共存してるから、凄い役者なんです。

昨日、楽を迎えた役者達が、キャリアを重ねても、今回の経験を忘れずにいて欲しいなぁと切に願うものです。

2013年3月11日月曜日

追悼・・・

昨夜、と言ってもついさっき、『見上げてごらん・・・』は無事に千秋楽を迎えることが出来ました。
ご来場の皆様、応援してくれた方々(観劇後すぐに自分のサイトに取り上げて宣伝して下さった方もおりました)そして何より若い役者達のつたない演技を盛り上げて下さったスタッフの方々に感謝です。役者達(半数以上が初舞台)にとって生涯得難い経験になったと思います、再演はありまりがそれはまた初演とは違うものですから・・・・

明けて本日、3月11日です。謹んで追悼の意をここに記させて頂きます。

今回の作品で私は、主人公にこんなセリフを語らせました。

『おまえの言ってることはな、自分が知らないことは世の中に存在しないって言ってることと同じなんだぞ!(中略)自分に影響がなければ何に対しても無関心なんだ、環境問題も知らない、放射能は見えないから関係ない、アフリカで子供が何人死んでようが心も痛まない、そんな奴はなそんな奴は人間じゃないッ!』

コレ、実は私がいつも自分にめている事だったりします。ただ泣いて笑えて良かったねの芝居じゃなくて、世の中に起こってる色んな事にいつもちゃんと反応しているクリエイターでありたいと思います。
これからも・・・・

2013年3月10日日曜日

苺の種

舞台の見方にはある傾向があるようです。



優は俳優の演技を観る

演出家は出を観る

家はストーリーを観る

スタッフはタッフ・ワークを観る



しかし演劇は合芸術。



誰しもがそれは分かっていても、どうしても自分にとって特化された己のジャンルに目がいくのは人の性です。
しかも観に来るのが大体演劇人だったりしたらもう大変。

総合芸術というより、マニアックで塞感溢れたジャンルになってしまいます。

 日本以外の先進国では義務教育のシステムに演劇が入っている国はたくさんあり、演劇の見方が教養になっていたりするのですが、日本ではどうも知性のないトリビアな世界になってるのが残念です。

 今回も色んなご意見を頂く訳ですが、こちらがショートケーキ売ってるのに、の種だけの話しをされている感じがして・・・・

 これから、その様なご意見を頂いた時には

 
『あなた・・・顕鏡好きでしょ?』

 
って質問しょうかなって思います。実際は好評で、再演のお話も頂いているので、極一部の話ですが

 

 

2013年3月9日土曜日

ブー

本日、本番15分前をコールしに、舞台袖の役者達のところを回っていたら・・・
T君、もぞもぞと暗い中で鼻紙を鼻に突っ込んでおりました。

『うん?何してんだ?』

T『鼻が、鼻が出て止まらないんです』

『何?もう本番だぞ。鼻紙突っ込んで黒く塗っておけッ!』

T『えっ・・・・・・』


T君は初舞台で興奮がピークに達したんでしょう、鼻ブーッになった訳です。

私もかつて鼻ブー経験が二回程あります。

1、ニューヨーク市立大学心理学科にて、必死で勉強した私の脳はキャパを超えビット数が飛び、ブー

2、演劇集団 円 時代、全国ツアーの折り、出演、バラシ、移動、立て込み、出演・・・
  というノリ打ち公演の折・・・ブー

大体、ガタイのイイ私はいつも一番キツイ、力のいる裏の仕事をさせられ(劇団の若手は大体裏の仕事をさせられます)その時もトラックの上で、荷積み係となっていました。
炎天下、ジリジリと照りつける、夏の日差し、舞台のパネルの上にい鮮血が一滴二滴。
それにも気づかずに作業に没頭している私。(ニューヨーク時代も同様。自分では気づかず、英語の医学書が真に染まっていく事で初めてブーだと気づいた)

先輩が興奮した様子で

『オイ、樋口!オイッ!おまえ鼻出てるぞ!鼻が垂れてるぞッ!
口の周りがだらけになってるぞッ!』

その後、二三日、その鼻血はいっこうに止まらず、それでも舞台に出なくてはならず、私の取った苦肉の策は、鼻紙を鼻腔の奥まで突っ込み、穴から見えそうな所をマジックでく塗る事。

出しモノは W・シェイクスピア 『リア王』

伝令役の私に演出家は『この舞台で一番大きな声をだせっ!』ときつくご指示。片方しか空いてない穴で必死で空気を吸い込み、叫びに叫びました。
気がかりなのは鼻に突っ込んだ鼻紙。いつバカでかい、超特大のくそが飛び出すかヒヤヒヤしながら演技していました。
幸い、特大鼻くそは、カーテンコール後おとなしく便所に流れていきました。

そんな訳で、今日のT君も『黒く塗りつぶした鼻紙』を上演後、場の便所に流している事でしょう。

者って嫌な職業だなぁ。

2013年3月8日金曜日

バーテンダーとフーテン


今回の公演はWキャストなので、本日もうひと組が初日を迎えました。感想やアンケートも好評です。でも僕はアンケートというシステムに対してイマイチ懐疑的な考えを持っています。

 今回のストーリーは、社会、学会に認められぬままこの世を去った゛UFOに傾倒してしまった理論物理学者の息子”の話しです。ほんの少しだけストーリー説明・・・

不遇のまま人生を終えたの名誉を取り戻すべく、息子はUFOを信じて世界平和を実現しようとする理想主義者の大学生。
でもUFOの存在を誰よりも信じていなかったのは、この息子本人でした。「UFO・・来た!!見えるよな!?」そう言って夜空を指差す父親。その指の先には星空しか見えなかった息子。でも息子は「うん・・見えるよ」と嘘をついた。息子は父が死んでからというもの、ヒステリーとも言えるほど、UFOを信じ続け、交信を続けていたが心の底の「絶対にUFOなど有り得ない」という思いは年々増すばかりであった。

しかしとあるきっかけから(只今上演中の為、ストーリーはここまでにさせてください)彼はUFOの存在をじる事となり、『父を欺いていた』というトラウマをえ、彼自身が社会からの逸脱を決意し、UFOへの交信に最適な場所として高層階の展望バーを見つけ、バーテンになるのですが・・・

そこで、今日の面白いアンケートにちょっと注目。

『理想主義者がバーテンというのはおかしい、バーテンダーというべきだ、バーテンという差別用語を使ってる』
男性のお客様の意見でした。アンケートというシステムはどんな意見を書こうが個人の自由です。ただ私はこういう類の感想にいつも度肝を抜かされます。

今回の主人公は体制に組み込まれる事を良しとせず、自らの理想の為にバーでシェイカーを振る事を選択しました。バーテンはバーと職を持たないフーテンが一緒になった(『フーテン』は戦後の一種の差別用語)語ですが、今回の主人公はまさしく最後はフーテンになる事を自分でんだということで『バーテン』という言葉は主人公を表す上でのしい選択として使われています。

 ストーリー全体を考えると、バーテンという葉が正解なのですね。

ニート、フリーター、女性の働力増強による労働争議の解決・・・国策に近い政策にのみこまれ、アウトサイダーとして生き残る強さを持たない多くの人が老齢になってからーキングプアになっている状況を見過ごしてはいけません(この辺に関しては書くと長くなるのでコメント来たら書きます)

 
今回の主人公の人生を観て、「なぜ彼はバーテンを択したのか?」が、ンサイダーとして戦い続けて不遇の人生を歩んだ父と、ウトサイダーを選択せざるを得なかった息子の二世代の人生を観て、戦後から現代の日本の問題をリアルに考えられる作品になっている=アリズムなのだと考えてもらえたらありがたいと思います。

 
ちなみに私の父は遺言で私の事を『フーテンのタカ』と書きました(笑)寅さんを始めとして『フーテン』という言葉には何かほんわかする響きがありますね。社会に組み込まれないアウトサイダー的な響きと言いますか。私は亡き父にそう規定して貰ったので、これからも思う存分『フーテン』させて頂きます()

 

2013年3月7日木曜日

祝、初日!

本日、めでたく、樋口が脚本や共同演出を手がてたAr-Style公演『見上げてごらん・・・』が初日の幕を開けました。半数以上の演者が初舞台のワサワサのカンパニーでしたが、開ける時は開けるんです舞台は・・・

まぁまぁ、色々と問題はあるものの、やっぱり初心者が懸命にやっている姿は胸を打つものがあります。丁度、運動会の子供の徒競走観て感動するのと同じと言いましょうか、ビギナーだけが醸し出せる空気感です。

SYMBIONで作劇する時は、それはそれでホームなので自由ですが、今回のようにアウェイでの作劇はまた違うものがあり、SYMBIONでは考えつかなかったアイデアも思いついたりして楽しい作業をしています・・・

本番開けても現在進行形なのは、私、演出家として少々ひつこいタイプで、まだまだ、良くなるんじゃないかと楽日まで役者に食い下がり、スタッフさんにも相談し、創作の手を緩めないからです。それは相手がプロだろうが、アマだろうが関係ないんですね。『大体こんなもんでイイや』っていう物分りの良いオジさんなったらクリエイターとしては終わりだと思ってますから(笑)

お時間のある方は是非お出かけ下さい。演技はつたなくとも結構エンターティンメントで、良い話しに出来上がり、私好みのギャグ・ネタ満載です(笑)

2013年3月4日月曜日

語る!語る!

昨夜、うちの細君と深夜過ぎに

『たまには外で一杯やる?』ってことになり、近くのワインBARに行きました。

もうかなり遅い時間だったので、客は私達二人だけ、店にもカウンターに女性一人。
後片付けをしながら、スローな感じで私達に応対していました。

暫くするとやおら大声で入って来た酔いどれオジさん二人と女性一人の三人組。
話を聞いているとどうやら小劇場関係の方々らしく

『あの時のお前の芝居はさぁ・・・』だの

『あの演出じゃあできねぇよ!!』とか

『知らない所で稽古してるんだから、私だって!!分かってよ!』などと大声で話してらっしゃる。

まあっ・・飲み屋で酔っ払って何話しても自由っていやぁ自由なんですが・・・
どうも私と細君は、この類の会話が大の苦手でして・・・どんなに聞いていても(聞きたかったわけじゃありませんよ、聞こえちゃうんです大声だから)芝居に対しての自分の思いとか、観念をぶつけ合っているだけで
『じゃあ、もっとこうしよう』とか
『こうやったらいいんじゃないか』といった生産的な会話はいつまでたっても聞こえてこず
散々、お互い思いをぶつけ合って議論した挙句、最後には何の答えもなく

『お前の気持ちはよくわかる』
『うん。わかるわかる。』
『・・でしょ・・』
『・・だな・・』

みたいな感じに落ち着きました。

『エエッ!じゃあ、今まで議論していた事って何だったの?それを聞きたくもないのに(大声ゆえに)聞かされて来た僕達はどうなっちゃうの?』とか思ってしまう訳です。

どうか気持ちの確認だけなら、もっと穏やかに笑い話などしながら楽しいお酒にしませんか?って感じでした。まぁ、結構見世物としてはおもしろかったので、勘定払って出る時に思わず
『イヤーッ、お三方とも面白い芝居でした』って握手したくなったけど(笑)

2013年3月2日土曜日

10万年前のネアンデルタール人

現在、樋口はACTIVITYにも書いてあるように、ArーStyleという新生の事務所のプロデュース公演に台本を書き下ろし、演出の手伝い等もしていて、6日が初日なので大忙しです。お時間がある方はまだまだ駆け出しの俳優達(半数以上が初舞台)の拙い演技ではありますが、お出かけ頂ければ幸いです。彼らの稽古を観ながら『ああっ、俺もあんなんだったなぁ・・・』とプレイヤーとしてはもうベテランと呼ばれる身となり『時間経つの早えなぁ・・・』などと思っておりまして。
でも、10万年はちと長い・・・という事で今日の主題の『ネアンデルタール人』ね、本当の主題はニュースでやってた『核廃棄物』の事なんだけど、『地下に埋めても10万年経たないと安全じゃない』ってアレ。観てたニュースが傑作で『皆さん、10万年前っていつ頃か判りますか?』っていう女性アナウンサーの言葉に続いてネアンデルタール人様のお姿が槍を持って、画面に大写しになった時は、下手なバライティなんかより最高に可笑しくて、TVの前で笑い転げました。結論から言うと核廃棄物に関しては誰も確かな責任なんて持てないって事です。だって未来の人から観たら、私らみんなネアンデルタール人なんですから、毛皮着て、槍持って、ヒゲもじゃの(笑)今の社会システムが機能してるかだって怪しいし、電力会社があるかどうかだって判らない。
極めつけが番組の最後にヨーロッパの技師が廃棄物埋める地下400mの現場でインタビュー受けていて『ここは、活断層がないので絶対安全です』だって『お前は神か?不老不死か?ネアンデルタール人めッ!』って感じで、皆さんTVからの情報には気をつけましょうね、お互いに。

2013年3月1日金曜日

祝!NEW ホームページUP!

ハイ、てな事でホームページが新しくなった訳です。FACEBOOKにも先行してNEW・SYMBIONマークを公開させて頂きました。Actor'sRingsは俳優達の輪という意味と、ボクシングやレスリングのリングという意味も含まれています。演技術という技を磨いて、せいぜいSYMBIONというリングで戦って下さいよってな事です。中にある三つの菱形はこれも四角いリングを表現すると同時に技術習得の為に不可欠な『心・技・体』を表現しています。で、私のブログもリニューアル。デザイナーの直塚氏の力作です。スターウォーズとターミネーターが入ってます(笑)
書かれているNON PRIVATE ON PUBLIC というのは、以前はBBSやBLOGでプライベートな事も書いていたのですが、基本的には苦手だと気づいたので、あくまでも演技や仕事、または世の中の出来事に対する私なりの意見を書くページにしたいと思っています。面白いなと思ってくれて、続けて読んで下されば嬉しい限りです。
それに、個人的には役者はなるべく普段、何してるか判らない方が『得』だと思ってます。最近、日本の芸能界では役者もバライティに顔を出さないと仕事を取れない大変な時代になりまして。私はどうもそんな役者さん達がドラマに出ていても『アッ、この人、この間彼女に浮気がバレた人だ』とか『この人、渋谷のあの店によく行ってるんだよな?』とか余計な情報ばっかりが頭に浮かんで、ちっともドラマに集中出来なくなってしまうタチなんで、殆どTVのドラマは観ません。まあっ、もともと殆どTV観ない奴なんですが(笑)
日々のトピックに乞うご期待という事で本日はこの辺で・・・・