2013年5月27日月曜日

持つ生活と持たざる生活

本日、ラジオでまた東海村原発関連施設の管理体制に対する不備を伝えるニュースを聞いた。
つい最近は敦賀原発の下に活断層が走っているというニュースも、
そうだ、まだあった、高速炉・文殊のニュースも。
勿論、忘れてはならない福島第一原発の核汚染水の処理問題・・・

この所、次から次へと原発関連のニュースが出てくる。
私は基本的には原発反対派です。
理由は前記した様に『人間の力でコントロール出来ないモノは扱うべきではない』
と思うからです。まして管理体制がズサンなんて論外です。
核の放射能は目に見えないという意味で、中国の鳥インフルエンザと同じです。
事故が起こってからじゃ遅いのです。

私も大人ですから、感情論だけで『原発反対』などと言ってるわけではなく、
元々、地震大国で国土の下を縦に横にと活断層の走っている日本は、
何処に原発作ろうが危険な訳で、戦後、たまたま地震が少なかったけど、
もう確実に地震期に入った訳ですから、考え方を速やかに転換しないと、
エライ事になるような気がします(もうなってるけど・・・)

それなのに、安部さんはまたトルコに原発売ったりしたり何だり・・・
止めなさいよ、トルコだって地震国なんだから・・・
いくら中東の窓口だからって・・・

と前置きが長くなったけど、原発の問題もそうですが
人間が『もっともっと』と欲かいて出てきたモノに、
今、私達は自らの足を引っ張られているんではないでしょうか。

これ、とっても大切な考え方だと思うんです。

『今私達は自らの足を「もっともっと」という思いに今更ながらというか
 未だに引っ張られているんではないでしょうか?』

勿論、この『もっともっと』は良い方向に働けば
科学や文化・芸術を進化・発展させる訳ですが、
これがコト人間の所有欲と絡むと大体ロクな事がありません。

『過ぎたるは及ばざるが如し』
『唯我、足ルヲ知ル』ではありませんが、

我々、先進国の人達は『もっともっと』の『持つ生活』から
少しずつ『足ルヲ知る』の『持たざる生活』にシフトしないと、
イケない時期が来た様な気がします。

私は三十代後半に親と一緒に家を建てた経験があります。
デザインなども自分でこなし、住宅雑誌などにも取り上げられた
そこそこオシャレな広い家でしたが、部屋が幾つあった所で、
家族で集うのはリビング、ダイニング。
あと使うのは寝室兼自室のみで、他の部屋なんてそのうち物置になる。
客間なんか、民宿じゃないんだから使用するのは年に数回。
結局5年経ち、父親と二人で『いらねーな、こんな家』となり、
売却したという次第。

私の住に対しての結論

『夫婦二人までは1LDKで充分、子供、姑がいればそれぞれに+一部屋』と相成り候。

住に関しては広く豪勢な家に興味はなく(元々豪勢な家を買う程の金持ちではありませんが)
環境が良くて、気が良ければ、無駄のない小さな家で充分。
『持たない』方にシフトしました。

食に関しても、私は余り大食漢ではないので『もっともっと』ではなく
少量の好みのモノがあれば事足ります。

衣に関しても、一応、美意識はありますが、
基本的に機能的でシンプルなものが好きなので
お洒落に『もっともっと』はありません。

別に私のライフ・スタイルの自慢をしている訳ではないので
誤解なきようにお願いしたいのですが
私の家建築の例の様に、人間はフト気づくと周りに要らないモノ、
本当に必要じゃないモノに取り囲まれてるという事に対して考えたいのです。

ですから『もっともっと』と次から次へと所有を繰り返すのではなく
先進国の私達が少しづつ足ル事ヲ知ってゆけば、
原発の問題も違う転がり方するかもなと
かなり飛躍した論理ですが、私の頭の中では繋がっていたりします。

私達は、とりあえず飢餓死人口の少ない先進国の一つなのですから。
というか、世界の90%以上の国が後進国と言われている価値観の先進国なのです。

それに日本は僅か二畳の茶室に無限の宇宙の広がりを観る、文化の国ですしね。
そう言えば昔、退いた時の安部さんのキャッチ・コピー
『美しい国・日本』だったんじゃなかったけ?





2013年5月22日水曜日

Do the right thing 7  坊主に説法、医者に教育?

今日、知り合いK氏と久方ぶりお会いし会食する。
話題は医者志望の親類の方の話から、大学の医学部というのが如何にお金がかかるか
という話になり『医者の適性』という話に至る。

K氏は数年に渡り、娘さんの病気を支え続けた事や年を召された母上との同居で、
随分と色々な医者と接された経験をお持ちで、

『イヤーッまともなお医者さんに出会うと、ホッとしますよ』

とおしゃっていた。
では何がまともで、何がまともじゃないかというと
演技に関わる私の視点では、
『医者におけるコミュニケーション能力の欠如』だと想像できた。

現在、医者になれる人は
いわゆる難関の国立の医大でも入れるお勉強の凄くできる人か、
もしくはおうちにお金があって高い私立の医大でも入れる人(大体は医者が稼業)

本当に医学に情熱があって、しかも博愛精神に溢れているだけでは、
なんともかんともの世界なんだそうです。
しかも高い所は医者一人仕上げるのにウン千万もかかるらしい(恐ろしい)

で、お勉強の出来る子は当然ながら、お勉強で自分の世界に没頭して、
あまり他人と交流しない(だって交流してる時間あったら、数学の数式の一つも解きたいから)
お金持ちの子どもたちは、概して恵まれているので、人の痛みに遭遇しにくいし
遭遇しても『えっ?私に関係無い事でしょ』と簡単に受け流せる。

がしかし、医者は聖職と言われているように、
身体面はもとより、精神面に関しても患者をケアするのが務め
ここで、困ったことが起きてしまう。
日本のシステム上、凄く勉強出来るか、凄く金持ちしか医者になれないとすると
残念ながら両者ともコミュニケーション能力の低い人達が多い訳です。

『医大の受験の時、適性検査も一緒にやったらどうですかね』

とK氏のお言葉、ごもっともです。

つい最近も、ウチの細君が医者から憤慨して帰ってきた
話を聞くと、これ又医者のコミュニケーション能力の欠如というか
患者に対しての配慮の無さというか
患者をまるで物としか見てない対応が原因。
院長は本まで出して有名な方で、患者も大勢いらっしゃる病院だがその有様、
なんとも情けない。日本の医療機関の現状・・・

医者は患者にとって神の如き存在。
患者は知識も経験もない『治療』というファクターを通して、
文字通り、身も心も医者に預ける訳です。
禅で言えば、高僧と弟子の関係、
マスターに完全にSURRENDER(明け渡)した状態なんです。
『悟れ』とまでは言いませんが、バランスのとれた人格になって
患者の心に機微ぐらい読み取って頂かないと、
泣く患者が後を絶ちませね、このままでは。

インターン期間中に情操教育するとか、演劇(?)させるとか
修行(?)させるとか、何かが必要な感じがします。
勿論、イイお医者さんも沢山おられますが・・・・

皆さんも変な医者が居て、
あなたを修理が必要な機械としてしか見ていなかったら
そっと諭してあげましょうね。
その人達は『人の痛みを癒す職業』に付いているのに
『人の痛みが解からない』人達ですから、
頭は良くても、教育が必要な人達です。

Do the right thing、MAN!

2013年5月16日木曜日

復活した公開稽古とシーン発表~初心忘れるべからず~

昨日、水曜日の私のクラスにて、
今シーンスタディのテーマであるW.Shakespeare 『マクベス』 の
シーン発表を兼ねた公開稽古をシャインのスタジオで開催しました。

FACEBOOKにも書きましたが、
SYMBION創世記には定期的に発表会なるものを開催し、
参加俳優達に演技の発表の場を設け、そこでの俳優達の演技のあり方を踏まえつつ
アンサンブルを形成し、本公演という大きな発表へと繋げていった訳ですが、
演劇祭で賞なども頂いた辺りから、演技術の道場であるという本分が失われ、
次第に日々の稽古より発表そのものに意識が行くようになり、

     『ムムッ?SYMBIONは劇団ではないぞ』とか

     『公演の稽古には来るけど、日々の稽古には顔出さない俳優が増えてきた』とか

     『誰がどれだけ有名で全てが決まる芸能界で自分を図るのでなく、
      売れているプロ・売れていないアマ問わず、継続的な演技術の道場として   
      SYMBIONは設立したはずでは?』とか

     『作品を発表するための演出と演技の質を上げさせる為の教授は別物ではないか?』  
     

等など、様々な問いと考察を経て、劇団的本公演活動を停止し、
またワークショップにおけるシーンの発表も暫く開催を控えていました。

が、しかし俳優には『見られている』環境=本番(擬似本番であっても)がやはり必要です。
考えた末、

     『演じやすいライトな戯曲ではなく難解なもの』で

     『解釈を単一化する「リザルト演出」をしない事で俳優のポテンシャルを引き出し』つつ

     『簡素化を追求したミニマムのスタッフワーク(美術・音響・照明・衣装)』で・・・

この3つの条件に忠実に公開発表するならば演技術のトレーニングをしていく延長のまま、
本番という場を俳優に提供できると判断しました。

結果、今回から公開稽古として発表の場を復活させる事にし、
昨日2013.5.15(水)が第一回となった訳です。

結果、沢山の見学者のご来場と、簡素で現代的なと舞台、明かり、音楽により、
参加俳優達は普段の稽古の何倍もの集中力で演じ切り大成功の公開稽古となりました。

最近、私がレクチャーでよく講義させて貰っている事に、
役者を成長させる三つの要素という物があります(詳細はHPで)

     1.演技を奏でる楽器="自分"を鍛えるトレーニング

     2.演技のデザイン

そして

     3.本番となります。

これは、私が発見したものではなく、演技のトレーニング法の歴史上にあり、
私自身もNew Yorkでマイズナーの弟子になった二十歳の頃から、
俳優として30年近く、一線で仕事をし続けてきた経験値の蓄積です。

俳優はスポーツ選手と同じです。トレーニングを欠かせば、試合には勝てません。
でも逆にトレーニングの時にどんなに素晴らしくても
いざ本番=試合になったら話にならないでは、これも駄目です。

このセオリーがあるので、今まで財政的にはかなり無理があっても、
大きな劇場を借り、本公演として発表の場を設けていたわけです。

でも、昨日の簡素化をテーマにおいた公開稽古では大きな気づきがありました。

     『問題は発表(本番)の規模ではない』という事です。

たとえ大きな劇場ではなく、小さいスタジオの公開稽古でも
本番さながらの雰囲気を創り、俳優達のモチベーションがあれば
どんな所でも『本番状態』を経験する事は可能だという事。

『マクベス』は五回位の稽古でこなせる様な簡単な戯曲じゃありません。
それ故、世界中の名優達が挑戦するのです。
ですから、昨日の俳優達の演技も完成品という訳では当然ありませんが、
演技に向かう姿勢は手だれにはない、摯さがありました。
失敗も悔しさもあったでしょう。それが良いんです。それが本番を経て初めて得られる
初心です。

通算8組、同じシーンを延々2時間見ていた訳ですが
私は全然退屈せずに、各チームの演技を見る事が出来ました。
トレーナーという立場だからという訳ではなく。

私も最近は堪え性がなくなり、大劇場の素晴らしいと言われる舞台を見ても
ちょっと舞台にスキがあると、すぐ睡魔に侵されるのですが・・・
昨日は本当に面白いものが見れました。

世阿弥大先生のおっしゃってる事は正しい!

      『しかれば当流に万能一徳の一句あり。
        初心忘るべからず。
       この句、三ヶ条の口伝あり。
       是非とも初心忘るべからず。
       時々の初心忘るべからず。
       老後の初心忘るべからず。
       この三、よくよく口伝すべし』   ~「風姿花伝」より~

最初の時の初心。未熟な自分の芸を憶えておく事。
そして、芸が上達していく過程において、段階段階におけるそれぞれの初心。
さらに、年老いてある程度の芸の極みにまで達しても、到達点を自ら作らず、
達人の境地に達したと評されても、更に新たな境地を求め、
求めた新たな地点に足を踏み入れた時点で、それはそれで新たな初心。

その通りです。
役者も慣れてくると、トレーニングから遠ざかり、
自分の演技は棚に上げて、発表の場の大きい小さいにこだわり
やがて、演技に対しての純粋な探求心は失われ
俳優としての自分自身を腐らせてしまう・・・・

格闘技を追求する格闘家が集まるジムでは、試合感覚の維持、技術力の確認など
様々な目的の為擬似試合としていつもスパーリングが行われています。
ならば、俳優の演技術を追求する俳優達が集まるジムのような場所で
スパーリングという場を創ってあげられたら・・・
この私の初心が、11年かけて昨日やっと一つの形になり始めたと感じました。

私にとってのSYMBIONも、新たな境地に達したのかもしれません。

昨日、シーン発表をした俳優達とそれを真剣に見学した人達に拍手。
あなた達は自分を腐らせていない、とても水々しい人達です。

私がNew Yorkの演劇学校にいた頃、
仲良しの黒人のALEXが小さな朗読の会に参加しました。
その翌日、興奮してクラスに入って来た彼は

『TAKAッ!OH! Man!スゲーぜ!昨日の朗読ワークショップに誰が来たと思う?オレなんかぶった  
 まげてその後、ぜんぜんセリフ読めなくて、大恥かいたぜッ!Man!』

『誰が来たのよ?』

『リチャードだよ!リチャードだぜ!Man!』

『リチャード?』

『この間、最年少でアカデミー賞主演男優賞受賞したリチャード・ドレファレスだよッ!
 ideot!(バカタレ)』

『Oh,my GOD!(オレもぶったまげたぜMan!)』

New Yorkではよくこんな事があります。
有名な人も、無名な人も、生涯変わらす演技をし続け
探求し続けるのです。

『カッコイイな、オレもそうなろう』と思った私・・・・
30年以上経って、昨日の俳優達を見て、またその時の事を思い出しました。

これからも、私の心と才能(あるとすれば)は
初心を忘れずに、ワークショップに来てくれる人達と共にあります。

MAY MY FORCE BE WITH YOU!








2013年5月14日火曜日

政治家の想像力の欠如

仕事から帰り今日のニュースを見ていると
まぁ、世の中色々な事が起こってます。

『高速炉・文殊の停止』

『謎の潜水艦の領海侵犯』

『福島第1原発・地下水処理の問題』

『コロナ・ウイルス、ヒトヒト感染』

そして『橋下氏、慰安婦に対してのコメント』

もし、私が生まれる前の『命』だとしたら
とてもじゃないけど、こんな物騒な場所には産まれて来たくありません。

で、今日は一番最後の橋下氏のコメントについて
私はかねてより政治家というのは、
権力にまみれて想像力が退化する人種だと思っています。

今日の橋下氏のコメントもそう。
ちょっと聞くと『うん、まぁな』なんだけど
すぐに『ヤバイいんじゃない』と思う。

氏は『当時は戦時下で、銃弾飛び交う中、戦場に出ていかなければ
ならない兵士の事を考えると、慰安婦的なものは時代的に必要だったと理解できるし、
日本だけじゃなく他の国でも同じ様なシステムがあった』という様な事をおっしゃった。

コレね、私に言わせると全くマッチョで男性からの視点でしかモノを捉えられてない発言。
もし、女性から男がこう言われたらどう思うでしょう?

『当時は戦時下で兵士が必要であったし、男性は女性よりも体力が
 あり、兵士になるのは当然、女は元々、家、ひいては国、
 未来を担う子供を守らなきゃいけないので、男が戦場に行って
 死んだり、傷ついたりするのは必要だったと理解出来る』

ちょっと極端だけど、コレをもし女性の政治家がしたり顔して
正論ですみたいに言ったら、男達は怒ります。

『このアマ、テメーッ!その言い草はなんだッ!』

と気の荒いオジさん達に喧嘩をふっかけられるかも知れません。

そもそも、国家間の都合で起る戦争なんてモノは民にとっては絶対NGだし、
男は兵士の為の素材じゃない。まして女の人はどんな状況であれ
男の道具、一時の慰みモノではないのです。

そう言った人類の根源的な問題も視野に入れず
公の場で、簡単に今日の様な発言が出来てしまう橋下氏は、
弁護士で頭はイイのかも知れないけれど本当の意味での
想像力が欠如している様に思います。(油断したというか)

フランスは文化に非常に理解のある国で、
アーティストに対しての助成金制度も世界トップクラスだそうです。
人から聞いた話ですが、そこには

『芸術家の想像力は未来を予見している』

というフランス独特の考え方が根底にあるそうで
まったく、羨ましい限りでございます。

2013年5月12日日曜日

今読んで貰いたい事~私家版 憲法シュミレーション

このところNEWSでは、毎晩『憲法改正』という話が出てきます。
以下、男女混浴のあるサウナでの出来事。

『国民投票になったらどうする?』
『えぇ?あんたねぇ、私らはさぁ、憲法なんてあまり気にして来なかったし、知識がなさ過ぎて、
 どう判断したら良いか判らないんだよ、ねぇ・・・
 大体憲法って何?法律の親分みたいなもんなんだろ?
 法律なんてしょっちゅう変わるんだから、いちいちうるさい事言わないで
 変えたいなら変えたらいいじゃないか

口調から年配の女性達の会話だと察せられたと思います。
男女混浴サウナと書いて色気を想起した方、申し訳ない。
話は戻って、上述の会話について…
大体憲法って何?法律の親分みたいなもんなんだろ?変えたいなら変えたらいいじゃないか』
コレ、多くの人達もそうなのではないかと思います。
実際、私も今回の事で勉強するまでは大体似たような事思っていました。

そこで、このよく判らない私の様な人にも " コレは判る!" と思えた事を
今日は書いてみたいと思います。

1、伊藤塾 塾長による憲法についてのものすごい分かり易い説明!
http://www.itomakoto.com/
上記ページ中の動画。前半は少し勉強っぽいですが、中盤からがすごく分かり易い!
一番わかり易かったのが、20分あたりの
『憲法は国家権力に歯止めをかけて、国民を守る為にあるもの』でした。
これは、私にとっては非常に新しかった。
というか、何故今までこんな大事な事を知らなかったのかについて驚いた。

今話題になっている『表現の自由』というものは、発言する自由というのが含まれますよね。
ニュースで「公序良俗に反するから」という理由でキャスターが自由なコメントに抵抗を
感じるようになったら…ニュース頼りの方たちは「知る権利」を失うことになるそうです。
という事は…憲法について、私達は改憲する前にまず「知る権利」をきちんと行使して
憲法が何かをしっかり知る必要があります。
そうしないといきなり国民投票と言われても困るだけだから!
という訳で…

改憲派、護憲派、両派ともメリット・デメリットを明確にして頂きたい。

現状、国会答弁では両派ともごもっともな言い分で
双方とも日本国民、そしてこれからの日本にとって良かれと思う事、
言わば『未来』を論じています。

ただ、未来は誰にも判りません。
預言者だって外れることがある。
ヨーダ先生もオビ・ワンにルークの行末を尋ねられて
『未来は常に揺らぐ・・・』とおっしゃってます(趣味的蛇足です)

だから、大局的検知に立てばどっちが正しいか正しくないかなんて
現状から予測はついても、実は誰にも確定出来ない。

だからこそ、出来る事はただ一つ。

『未来の出来事に関しての可能な限りのシュミレーション』
(スポーツの試合の前などには必ず行われる)でしょう。

改憲派、護憲派双方が憲法を変えた時、変えない時の
メリット・デメリットを明解にして、
憲法に疎い人達にも判り易く、詳らかにし、
国民にシュミレートさせる。

そこで私にとって分かりやすかったものパート2!!

2,尊敬する内田樹先生のインタビュー(東京新聞 2013.5.3)
http://blog.tatsuru.com/2013/05/04_0814.php

二人の説明、ものすごく分かりやすかったです。
そこで・・・伊藤塾塾長の講義と、内田先生のインタビューから不肖樋口隆則が
私家版 『護憲と改憲 メリット・デメリットシュミレーション!』 

~~メリットについて~~

憲派のメリット : 経済効果
憲派のメリット : 国民が自由に生きる為の最低限の権利が守られる(人権・平和等)


~~デメリットについて~~

憲派のデメリット : 自分を守るために必要なサービスをこれからは
              「商品」として「市場」で買わなければならなくなるという事。
              もちろん、だからこそ経済活動はその分だけ活性化するのが
              メリットという訳。
  

【むむっ、これは『政治家や官僚等、ごく一部の成功した実業家達とは無縁の一般市民=1億総中流の国民と、身体的弱者と言った国民が守られる唯一の盾がなくなるという事なのでは?』
そんな疑問が脳裏をよぎる。】

憲派のデメリットが : 経済大国として世界のトップを狙うという国策は、
                原発が国策であったように、犠牲になる国民が必ず出てくる。
                しかし、憲法があると今後国民の犠牲を増やしづらい。
                多少の人には泣いてもらって、国が裕福になった方が
                最終的には潤うという考えを追求しづらい。
【むむぅ、これは…『護憲派のデメリットは政治家や成功者にとってのデメリットで、99%の国民にとってはメリットしかないのでは…そんな思いが脳裏をよぎった】

内田先生の引用。

   国際競争力のある日本企業が勝ち残れるために、
   国民はどれほど自分の資源を供出できるか、
   どこまで犠牲を払う覚悟があるか、改憲派はそれを問い詰めてくる。

   国民を守る制度はどれも「急激に変化しない」ように設計されています。
   これがなんとも経済成長には邪魔である。
   ですから、できることなら、これまで国家が担ってきた「国民を守る」事業は
   すべて市場に丸投げしたい。

~~メリット・デメリットのまとめ~~

憲派のメリット = 国民の権利が守られる = 国民にとってのメリット

憲派のメリット = 国民が犠牲になるが経済効果が高い = 国民にとってのデメリット

要するにどうやら憲法は『国民を守る為のもの』なので、
これ以上、水俣病、ハンセン病、原発被害等、国家権力による被害者を増やさないように
する為には、国民は必死で『護憲』しなくてはならない。という事のようです。

54歳の私が、やっと理解し始めました。なるほどな。
そして今日のNEWSで18歳まで年齢を下げて『国民投票』する、
しないと聞きました。

!!

54歳の私が、未来の子供達の事を考えたら『護憲』だろと思った矢先、
その未来の子供達に選挙をさせるのか!?という珍事!!

・・・大変ですよ、今の若い人達。私らとは違った志向性ですから。
『分からない』という事が恥にならない世代。
興味のある事は専門家以上、興味のない事は幼稚園児以下という特性を持っています。
自分を成立させる欲求で戦っている子供達にまで責任を求めるのは
ちょっと過酷。。もちろん、20歳だって同様ですけどね・・・
・・・あまり早い時期に国民投票させるのは、現状日本では無謀だと思います。

それでも10代に国民投票という責任を課したいのなら、公平にメリット・デメリットシュミレーションを自民党さんも創って提示してみたら私も納得するかもしれない。
例えば、今の10代に対して不公平なく作るとしたら・・・
アニメとか創ってみたらいいかもしれませんね。

~~憲派デメリット・ロボ~~

  盛大なファンファーレと共にタイトル・ロール

『自衛隊が国防軍になった夏、キミは戦火に散る(最終話)』

  ラストシーン、外国人兵士の銃殺を命令された主人公である兵士(徴兵制度による)。
  銃を構える。目隠しをされたまま、懇願する外国人兵士。
  発泡の合図。
  しかし・・・主人公は撃てない。主人公に上官が命令する。『撃て!』と。
  そして・・・主人公が呟く。

『僕は撃たない・・・僕は撃たない・・・
 だってそれは・・・あなた達、大人の都合だ』

  盛大なファンファーレと共にエンドテロップ

『自衛隊が国防軍になるとこんな事も起こりかねない。
 さぁ、銃を撃つキミは改憲!撃たない君は護憲に投票だ!』

なんて感じのアニメ。

ただ・・・アニメや映像は扇動力(≒洗脳力)ありますからね。あまりオススメ出来ませんね。
やはり、しっかりと歴史から考えて、何故憲法が制定されたのか、何故憲法が必要なのか?
というところから丁寧に不公平なく教育現場に持ち込む事が必要でしょう。


今の政府は、そんな労も厭わずに
『どっちの未来を選ぶ?』って『国民投票』しようとしているのが、やはり現状でしょうね、
残念ながら。

国民投票が実施されたら、『自己選択』だし、自分達が『覚悟』した事だから
戦争になろうが、幾つ原発作ろうが、表現の自由に規制がかかって反対運動できなくなっても
誰も文句は言えない。

今、日本は、戦後最大の大事を抱えている!という意識すら殆どないまま、国民投票になってしまう恐れありですね、これは。

そんな時だって言うのに、殆どのニュースで改憲派はいい事しか言わないし、
護憲派の言ってることも、知識のない者にはよく判らないままの現状・・・

観念論はいいから具体的にどうなるかを、もっともっと国民に知らせるべきです。
でないと『国民投票』なんて無意味。
幼稚園の子供に高校生の問題見せて『どっちが正しい?』
って聞いてるのと変わりありません。
きっと訳の判らない幼稚園の子供は、
最近羽振りがよくて美味しそう飴玉を持った安部オジちゃんが

『オジさんはね、護より改の方が正しいと思うよ、ボクはどう思う?』

なんて聞かれたら

『ゴとかカイとかよく判らないけど、その飴くれるならカイッ!』

『ボクはいい子だね、ハイ飴(と頭を撫でる)』

『ワ~イッ!』

ってな感じになりかねない・・・

医学の世界では、現在、必ず『インフォームドコンセント』と言って
手術をした場合としない場合のメリット・デメリットを患者に明らかにする事が
義務付けられています。

お医者さんだって、物分かりの悪い患者やその家族には
噛んで含める様に伝える努力をする訳ですから
お上である政府は尚更の事でしょう。
国の背骨であり、国民一人一人を守る背骨である憲法にメス入れようとしてるんだから。
きちんと説明するのが筋です。
(メス入れなきゃいけない程悪いのかどうかは疑問ですけど・・・・)

ここからはボヤキ、
何だか日本の政治って、いつも歯切れが悪いというか、クリアーじゃない。

ちょっと聞くと『そうだね・・・』と思うけど
よーく聞くと『うん?なんかおかしくねぇ』っていうのが多すぎる。

建前でばかり話さないでさ、本音で行きましょうよ、
憲法なんて大事な話なんでしょ?

大体、政治は金で動いてるのは国民にバレてるんですから
特に改憲派の人、企業と結びついて、グローバリゼーションだなんだって
言ってますけど、正直にこう言ってみたらどうですか?

『国民の皆さん、お金欲しいでしょ?私達の政党も欲しい、だから改憲しましょう
 そのメリットはねカクカクシカジカ・・・でそのデメリットはカクカクシカジカ。どう?
 護憲派より金回りは良くなると予測してるんだけど、まぁ、未来の事は起こってみない
 と判らないから、俺達もハッキリ言って原発については責任は取れないかもだけどさ・・
 、いつ必要・・? でしょ!!』

拝金主義にまみれた多くの日本人は乗るかも知れません。
カッコつけて96条がなんだかんだやってるより、よっぽどクリアーで判断し易い。

勿論、コレには私は大反対です。
有限な地球の上で無限の経済成長を望む方が間違っています。
みんなそろそろ、足ることを知らないと、地球さんは怒りますよ。
もうかなり怒らせてますけどね。





2013年5月10日金曜日

矢沢永吉から考える " カッコイイ俳優 "

『矢沢永吉はなぜ錆びなかったのか・・・』

ご存知、還暦を越えた永ちゃんのNEWリリースのキャッチ・コピー。
皆さんも街でポスターを目にしたことがあるかも知れません。

私は若い頃より『矢沢永吉』という人の日本での在り方に興味を持っています。
それは何故かというと極めて日本的ではないからです。
欧米であれば強烈に自己を主張して、のし上がって行く人はたくさんいるのですが
日本では稀です。永ちゃん本人も30年前に言ってますが

『芸能界は勝てば官軍でしょ?俺だって今売れたから、みんな話聞くけど
 そうじゃなかったら「ダメだアイツ我が強くて」で終わりだよ』

その通り、芸能界は全て結果論で動いています。
どんな形でも売れたら天下の日本芸能界。
今のテレビを観てると皆さんも分かると思います。

でも、矢沢の永ちゃんは『どんな形でも』は嫌だった
自分がカッコイイと思える形で売れたかったし、他人任せにしなかった。
何十年も常に自分で自分自身をプロデュースし続け、
有名な『成り上がり』(糸井重里著)も出版し、
遂には、矢沢永吉という人間の生き方や考え方まで、
その商品のセールスポイントとしてしまった。

あるNHKの公開討論会で、永ちゃんがミュージーシャン志望の若者の質問に
指をパチンと鳴らしながら

『君、それがわかったらYAZAWAになれますよ』

コレは滅多な人間には言えません。特に日本ではね。
『まぁまぁまぁ、なぁなぁなぁ』のお国柄で
出る釘は打たれますから・・・
よく持ちこたえたなぁ矢沢さん
こんな事もインタビューで言っています。

『矢沢はこれからも一所懸命、カッコイイ曲作って、スゲーッ、コンサートやって頑張る。
 だから気に入ったらCD買ってね、気に入ったらコンサート来てね、
 でもその為にみんな(客)に合わせる矢沢にはならないからね』

お見事です。表現者としての主体をキチンとお持ちです。

故に『矢沢は錆びつかなかったのです』

話変わって、永ちゃんと同じ頃
一世を風靡していたフォ-クソング
HITしたかぐや姫の『神田川』
風呂もない三畳一間のボロアパートに同棲している男女が
一緒に銭湯に通ったりしている・・・

一節

『あなたは私の指先見つめ、悲しいかい?っていったのよ
 (中略) ただ、あなたのやさしさが怖わかった~♪』

『ななっ?なんじゃこりゃ??女にしか価値観を見いだせない男の歌か?
 こんな男、やさしくもクソもない、ポリシーも甲斐性もない只のクズだッ!』

と生意気にも高校生の私が思っている時に、
『RUN&RUN』という自己プロデュースビデオの矢沢さんの一言

『フォ-クソング?アレさぁ女々しい男のコーマン(失礼)ソングだろ?』

ハイ、恐れいりました。
その時から、楽曲はともかくとして、私はYAZAWAがJAPANで
どこまでやれるかに興味を持っています。
まるで、天然記念物を観るような思いで・・・・

日本がグローバル化を本当に叫ぶならば
YAZAWAの様に『生き方』や『考え方』で勝負出来るアーティストが
芸能界にもドンドン出て来て、それを称賛する環境が出来なければダメだと思います。
私自身もクリエイターやプレイヤーとして一生精進の旅を続けると共に
トレーナーとしても、『生き方』や『考え方』がカッコイイ俳優を育成したいと思っております。

『キツイ旅だぜ、お前にわかるかい?
 あのトラベリング・バスに揺られて暮らすのは
 若いお前はロックン・ロールに憧れ、産まれた街を出ると言うけど
 その日暮らしが、どんなモノなのか、判っているのかい?
 ルイジアナ・テネシー・シカゴ・遙かロスアンジェルスまで~♪』

矢沢『トラベリング・バス』より






2013年5月1日水曜日

Do the right thing 6 回復力と順応力

年齢によって、変化するもの・・・

回復力と順応力。

コレには身体的側面と精神的側面の二つのサイドがあります。
そしてこの二つは反比例します、多くの場合。

まず、分かり易い身体的側面から。

CFでもあるように

『最近、疲れがとれないんだよね』
『そんなあなたにOOOOOV!』ってヤツ。

確かにあります。
私も暖かくなったので、寒い頃サボっていたランニングを
『そろそろ走るかぁ』と1週間前、再開したのですが
未だに後遺症の筋肉痛に悩まされています。

若い頃は、新しい事を初めてもすぐに順応して、
身体も回復したのですが、今は時間がかかります。
コレが年齢というモノでしょう。

反対に精神的側面。

まだ人生経験の浅い若い頃は何かでドジを踏んだりすると
『ヤベー、俺もう立ち直れない』などと
落ち込みはかなり長く続いたのですが
歳を重ねると『まぁ、こんな事もあるんじゃね-の』と図太くなり
一晩寝ると忘れたりします。
順応力も然り。
新しい事でも経験の蓄積を応用してあまりビビらない。

神様は良く人間をお創りになったものです。
精神的側面が未熟な若い頃は、身体的側面で補い、
身体的側面が老化すると、精神的側面でカバー出来るようになっているようです。

この考え方、発展させると国にも応用できるかも知れません。

若い国は『政治も経済も文化を発展させて良い国にするぞ!』
という建国のパワーが維持されているので
少々、下手こいても、すぐ立ち直って(回復して)次に向かいます。
身体的な国と申しますか。
その際たるモノがアメリカだとします。

しかし、歴史と伝統に裏打ちされた国は
何度も下手こいてるので、歩みは若い国より遅く、
頑固でなかなか言う事を聞いてくれず順応性が乏しい。
でも、歴史という経験があるだけに行動には規範みたいなモノが存在していて
すぐに戦争ふっかけたりはしないし、割と他国に対しても寛容に見える
その際たるモノが欧州、中国等、そして日本だとします。
(実際のところは判りませんが・・・)

改めて日本という国を歴史の中で考えてみると・・・
建国の父、聖徳太子様がおしゃった様に

『和をもって貴しとなす』だなぁと。

伝統的には喧嘩しない事をモットーとしています。
個人と個人でも意見が違うのに、多くの人の利権が絡む国と国では尚更のこと。
それでも、日本はなんとか喧嘩しないように折にふれて『和』を保つために
折衷案を取り、自分の意見をダイレクトに相手にぶつけない国風?を
編み出してきたとも思えます。
私は個人的にはあまり好きな国柄ではないんですが、それでも最近ニュースで見聞きする

『国際社会に合わせて憲法を変え、自衛隊を軍隊にする』には
どうもご都合主義を感じてしまう。

『グレーなものはグレーのままでいいんじゃない?今まで散々それでやってきたんだからさ、
 下手に順応しょうとしたら、怪我するよ、若い国じゃないんだから』
 などと私は思ってしまいます。

憲法の事はあまり詳しくないし、今日は書きませんが
もともと『まぁまぁまぁ、なぁなぁなぁ』のファジーな国柄なのに
なんで今さらそこだけ白黒ハッキリさせたいのでしょう。
だったら他にはっきりさせなきゃいけない事たくさんあるのに・・・・

Do the right thing,Man!!